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悲しみはきっと僕らを大人にする

生きていれば悲しいことが絶対に起きる。

どれだけ嫌だって泣き叫んだとしても、例外なく悲しみはやってくる。

恋人との別れ。家族との別れ。大切なものを失ってしまった時は、悲しい気持ちになってしまう。

「時間が解決してくれる」ってよく言うけど、時間が解決してんじゃない。

自分が解決してんだよ。自分の心が解決に時間をかけてるだけだ。

問題の解決自体は自分の心がやってんだよ。時間は解決の要因の1つでしかない。

時間をかけてあなた自身がゆっくりと前に進もうとしているんだよ。

悲しみに暮れたあの夜も、今では笑い話になっているなんてことはないかい?

笑い話にできる理由はね、悲しさを乗り越えて、あなた自身が成長しているんだよ。

なんであんなに悲しんでいたのかわからないという体験を何度もしてきただろう。

「時間が解決してくれる」という優しさに甘んじて、僕らは何度も過ちを繰り返す。

同じような過ちを繰り返してしまう時もある。

誰かを傷つけ、悲しませることもあるし、誰かに傷つけられて。悲しんでしまうこともある。

僕らは互いに傷つけ合う運命なのだ。

楽しい時間はいつまでも続けと願うし、悲しい時間はすぐに過ぎ去ってほしいと願う。

そんな心とは裏腹に、楽しい時間はすぐに終わり、悲しい時間は永遠みたいに長く感じてしまうのはなぜなんだろうか。

悲しいことが起きたら、悲しみの涙で頬が濡れてしまわぬよう、そっと流れた涙を手で拭う。

泣きたい時は泣けば良いのに。僕らは強い人間であろうとする。

世間体を気にして、弱い部分を隠し、強い自分でいようとする。

ほんとうは弱いのにそれを認めたくない。それだけが本音だろ?

涙を雨のせいにして、悲しさに気づこうとしない。

いや、ほんとうは気づいてる。気づきたくないだけ。

あまりに脆く儚い生き物。それが人間ってやつだ。

雨が悲しさを全て流し去ってくれるのであれば。どれだけ楽に生きることができるのだろうか。

でもどれだけ雨に濡れても、悲しさは流れ去ってくれない。

悲しさには自分が向き合っていかないといけないというのが事実だし、向き合った人は、ほんとうの痛みを知っている人が多い。

泣いた分だけ強くなんてなれないし、弱いならもうそのまま弱い自分のままでいいよ。

弱さをさらけ出せば、誰かがきっと手を差し伸べてくれる。

僕は困っている人がいたら、無条件で手を差し伸べられるそんな人間になりたい。

悲しみはきっと、僕らを大人にする。

悲しみはきっと、ほんとうの痛みを知る機会になる。

悲しみはきっと、僕らに不可欠なものだ。

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