じぶんのために書いた文章は、誰かのための文章になる
過去にじぶんが書いた文章を読んでいると、なぜか涙が流れていた。そして、過去の記事の大半が誰かに向けられたものではなく、じぶんに向けられた文章だということにも気づいた。
誰かのために書かなくてはならない。誰かの気持ちを励ます。誰かの気持ちを前向きにする。誰かの役に立たなくてはならない。その気持ちがいつも文章を書く手を止めてしまう。
本当に、誰かの役に立つ文章を書かなくてはならないんだろうか?じぶんのために書いてはいけないと誰かが制限したわけでもない。書けない呪縛をじぶんに課していたのは、紛れもなくじぶん自身だった。
じぶんのために書いてもいい。そして、じぶんが書いた文章で、じぶんが救われたっていい。
そう気づいたその瞬間から、脳内から言葉が溢れ出し、すらすらと文章を書けるようになった。じぶんに伝えたい文章は、綺麗に着飾らなくていいから気が楽だ。誰かに届けるとなると、やはり体裁だけでもきちんとしておきたい。
誰かの役に立つではなく、じぶんの役に立つ。世界を変えるのではなく、じぶんの世界を変える。誰かを救うのではなく、じぶんのいまを肯定するために書く。誰かのために生きているわけではなくて、僕はじぶんのために生きているのだ。
そして、じぶんが抱えている悩みは、じぶんだけのものではない。きっと、じぶんと同じような悩みを抱えている人間がいるはずだ。だから、じぶんが救われた数だけ、きっと誰かのためになる文章になっているにちがいない。
その証拠に、じぶんの悩みを打ち明けたときに、温かい声や「同じことを悩んでたよ」という声をもらうこともある。だから、誰かのためじゃなくていい。じぶんを救うをまずは優先する。
そして、じぶんを救った事実は、誰かを救うにつながる。幸せの連鎖はまずじぶんが幸せになってから起こせばいい。
これからもじぶんの文章に救われる人生を歩んでいくし、じぶんの書いた文章で誰かの気持ちを少しでも前向きにできたらいいと願うばかりだ。
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