見出し画像

11/23②「ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』を読んで」

以前にこのバタイユという著者が書いた『呪われた部分』という本についての感想noteを読んだことがあった。その記事が面白くて、またこのエロを扱うテーマにも興味があったので、読んでみた。


ものすごーく難解な本だった。前に上野千鶴子の『女ぎらい』という本を読んだ時と同じような感じを受けた。内容のほんの少しも正確に理解できていない自覚がある。よって、今回は内容についてはあまり触れられないと思う。

論説の展開の仕方として、自分の主張や好き嫌い、こうあるべき、みたいなものがあまり感じられなくて、事実をもとにひたすら論理的に、エロティシズムというものを解明していく、という感じを受けた。学者の鑑なのかもしれない。

とはいっても、冷淡な文章かというとそんな感じもしなくて、むしろ情感のこもった文章のように感じた。難解ではあるのだけれど、どこかで誰もが感じたことのある普遍的な感情を根元に、論理を展開しているからなのかもしれない。だから、ある意味作品のような面白みがあって、そういう楽しみ方でなんとか最後まで付き合ってこれたのかもしれない。


いくつかオッと思える部分もあったので、取り上げて書き留めておきたい。

まず、悪党とか労働とかと、エロを絡めて考察していたところだ。ある調査によると、毎日オナニーをする男性というのは少ないようだ。しかし、悪党となるとその割合は50%程度まで跳ね上がるらしい。

どうやら労働というのは、性欲を抑えるために機能している面があるようだ。しかし、悪党はそこのストッパーが外れている。だから際限なく快楽に溺れ、娼婦に寄生する。

ところで、この本では、エロというものを、絶え間ない禁止と侵犯の繰り返しの中に見出していた。女を犯す、なんていう表現もあるが、たしかに自分もムラムラした気分になるときにどこか暴力的な衝動も伴っているようなきがして、共感を覚えた。

話を戻して、悪党というものはこの規律によって自分に禁止を課すということをせず、絶え間ない侵犯というものが日常化しているから、そこに快楽を感じられなくなる。例えるなら、休日はたまにあったら嬉しいけど、夏休みのようにずっと続くと嫌気がさしてくる、というようなものかな、と思った。


多分ものすごく頭のいい人なんだろうなとも思う。この本と向き合ってみて、別に自分は知能が高いわけではないのだな、ということも感じた。

ちなみにこのバタイユという人は20世紀のフランスの思想家なのだけれど、フランスというのは、こういう恋愛とか、エッチなこととかに詳しいイメージがある。フランス文学というものも、もっと深掘ってみたいなという興味が湧いた。


いいなと思ったら応援しよう!