世界は今、上条当麻を必要としている
私は現在の世間の人間は共同幻想に支配されているという観点から“世界は今、上条当麻を必要としている”と考えた。
なぜこんな一見関連性のないものに共通点を見出したのかを解説していこう。
上条当麻とは?
上条当麻とは鎌池和馬著のライトノベル『とある魔術の禁書目録』の主人公である。
作品のストーリーは以下の通り。
超能力といったオーバーテクノロジーを擁する「科学」と、神話・宗教やそれを元にした力を擁する「魔術」が交差するバトルアクションストーリー。引用:ピクシブ百科事典
要は異能バトルもの。
この異能を持つ登場人物で展開される本作において、上条当麻はレベル0の最弱(無能力者)平凡な男子高校生である。
なのだが…
一見ただの雑魚キャラにしか見えない説明だが上条当麻の場合、レベル0だがそれは上条が所属する学園都市(東京をめちゃくちゃ発展させた都市)の測定器が計測できないだけで、実際には超能力や魔術などの異能の力を触れただけで無効化させる右手「幻想殺し(イマジンブレイカー)」という特殊能力を持っている。
性格はドの付くほどお人よしかつ世話焼き。
基本的に行動原理の優先順位が他人>越えられない壁>自分なので、目の前で困っている人がいればどんなにハイリスクでも、それが敵対者であっても全力で救済しようとする。
しかもどんなに害を被ったとしても決して見返りが求めず、全てを「不幸だ……」の一言で片づけるなど、その献身性はもはや異常の域に達する。 引用:ピクシブ百科事典
要するに生粋の主人公なのだ。
最弱で最強の主人公。
決め台詞は“その幻想をぶち殺す!!”
それで注目していただきたいのは上条当麻の類稀なる主人公力(ヒーロー力)と幻想殺し(イマジンブレイカー)である。
彼は決して現状に甘えない。強大な敵がもつ能力という名の幻想が形になったものに対し、疑問を投げかけその異能力(幻想)をぶち殺すのだ。
ぶち殺すといってもただ無効化するだけなのだが無効化するということに意味があると私は思う。
敵の想いを全否定するわけではないのだ。
ただ0にするだけ。振り出しに戻す。(見方を変えるとそれが一番残酷かもしれないけれど)
そして今一度考え直させる機会を作っているのだ。
最後に全力のパンチはお見舞いするのだけれど、これは一応必要な罰だと考えよう。
共同幻想とは?
共同幻想とは
吉本隆明の『共同幻想論』 (1968) によって現代日本思想界に定着した概念。古典的マルクス主義の見方では国家 (上部構造) は経済構造 (土台) の反映でしかなかった。経済的支配階級の利益を普遍的な利益として偽装する手段として国家を位置づけていたのである。それゆえ国家は軍隊や警察に代表される暴力装置としての意味しかもっていなかった。これに対して吉本は国家の幻想性に注目する。暴力とは国家の機能にほかならずその本質を説明するものではない。そこで上層構造を幻想領域として措定して,自己幻想 (文学,芸術) と対幻想 (性,家族) と共同幻想 (国家,道徳,宗教) の3つに分類する。吉本によれば国家の起源は「禁制」に求められる。村落共同体の外部に対する「恐怖の共同性」を幻想化することが禁制の効果である。家族の本質を構成する対幻想も血の禁制 (近親相姦の禁止) に支えられている。この血縁という対幻想が共同幻想化されるとき,国家が発生する。このように国家を暴力に還元するマルクス主義の国家論に対して,吉本の共同幻想論は日本的共同体の本質を理解するための糸口を与えたといわれている。引用:ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典
個人を超える集団(家族・社会・国家・民族など)の秩序を支えたり、それへの帰属を理解する観念。また共同で作り上げる精神の成果(宗教・イデオロギーなど)も、こう呼ばれる。引用:三省堂
要するに団体で見る幻想が共同幻想といえる。
ここでいう団体とは社会であり、国であり、宗教であり、法であり、風俗や習慣である。
共同幻想に支配された人たち
私たちは日頃、人類が生み出してきた幻想や固定概念に支配されているのです。
最近、私なりに世の中を見ているとどうも依存のルールや価値観を疑い、自らの頭で考えるということが人類には足りていないと思うのです。
所詮はこの人間社会は幻想です。
例えば日本という名前も幻想です。
人が人と呼ぶことも幻想です。
幻想で社会が成り立っているのなら幻想を今を生きる私たちが作っていくことも可能です。
だから思考停止で流れるプールに流れていくように社会の流れに身を任せるようなことはしてはいけないのです。
流れが本当に正しいのか、自分たちの実現したい未来に向かっているのか? 向かっていないのならどうやって方向転換や微調整をしていくのか。
これをしっかり一人一人が自覚を持っていかないといけないと思うのです。
そのためにまずは自分が見ている幻想は何か?と自身に問うことが大切だと吉本さんはおっしゃっています。
この視点が入るだけでも、たくさんの事象を根本から見直す手がかりをつかむことができるそうです。
根本のしくみと現在の状況を同じ比重をもって視点とすることが大切だそうです。
以上の視点の持ち方はなんとなくわかります。
幻想は生まれた要因が必ず存在するため、根本のしくみと現在の状況を理解することで幻想が信じられている原因を知ることができます。
これは幻想に限ったことではありません。
最近特に多いSNSのフェイクニュースで特に感じます。
人間は情報の表面だけを見て判断してしまうことが非常に多く感じます。
なぜそんなニュースが流れたのか、なぜそこまで叩かれないといけないのかを根本的に理解しようとする姿勢がSNSには感じられません。
圧倒的スピードで情報が判断されていきます。
私自身、情報を咀嚼しないことは実感していてなかなか自分でしっかりニュースの背景を調べようとはなりません。
かなり意識するようになったので突発的に情報に反応したり、意見することはなくなりました。
まずは、常識というふざけた幻想をぶち殺したい
私はどうにかしてみんなに“常識を疑う”ということをしてもらいたいと思っています。
私は人が叩いたり、避難したりする理由は自分の中の共同幻想(常識)に囚われているからだと思います。
これはこれ! あれはあれ!
みたいに決めつけることが非常に多いと感じるのです。
大人になればなるほど!
いろんな情報を知ることで常識に囚われてしまっています。
誰もが子どもの頃はあんなにいろんなことに興味津々で疑うということを知らなかったはずなのに…
常識は人が規律を正すためやルールを設定するために作った幻想でしかありません。
中には囚われる必要のない幻想だってあるはずです。
まずは自分の身の回りの常識から疑うことから始めませんか?
きっともっといい常識(共同幻想)を作ることができると思います。
だから世界は上条当麻を必要としている
ここまで読んでいただいた方々には1ミリでも理解してくださっていると信じています。(意味分からないと思っていらっしゃれば私の実力不足です)
今こそ勇気を持って常識の仕組みを明らかにする存在が必要です。
落ち着いて一度、振り出しに戻って0から考えるのです。
みんながよりよい世界を生きることができるように思考を止めないで。
私も考える努力を頑張りたいと思います。
そして世界に向かって大声で叫ぶのです。
まずは、その幻想をぶち殺す‼︎