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歩く。エベレストに向かって

ずっと前からの夢だった。いつか必ず自分の目でエベレストを見てみたい。その夢を叶えるため、僕はネパールに向かった。

そもそもこのネパール旅のきっかけは、自分が学生時代にバックパッカーをしていたことにある。少しだけその話をしてから、エベレスト街道の話に入る。

大学3年生の秋、就活がスタートして自分の人生、何をして生きていくんだろう?なんてほとんど考えてなかった普通の学生に急に突きつけられた現実。なんとなくだけど海外と繋がりのある仕事がしたいと思っていた自分がいた。

だけど、当時パスポートすら持ってなくて、そんな自分の矛盾に気づき、すぐさまパスポートを取得し大学の授業を休んでベトナムとカンボジアの旅に出た。

そこでみたものをここで語るとあまりにも長くなってしまうので割愛するけれど、他のバックパッカーと同じくカルチャーショックをたくさん受けた。日本に生まれたこと自体が恵まれた環境であること、だけど、アジアの方が楽観的で日々を楽しそうに生きていること・・・などなど。

海外旅のおもしろさに目覚め、翌年、卒業前に東南アジア縦断の旅に出たりもした。そんな自分が当時いだいていたのは「いつか世界一周の旅がしてみたい」という夢だった。


たくさん時間のある学生時代。ネットで世界を旅している人のブログを読み漁り、そこで初めて「エベレスト街道」の存在を知った。
5色の旗が風になびき、そして背景には見たこともない山々の絶景。この画像をみたときに「いつか自分もここに行ってみたい!」
大した理由はなかったけれど、なぜか僕はその写真に惹かれた。

憧れのエベレスト街道へ


さて、ここからがエベレスト街道の話。
「エベレスト街道を歩いて、エベレストベースキャンプにいってきた!」というと、「え、エベレスト登ったの?どういうこと?」という反応が少なからずあったので、簡単に今回の旅路を先にお伝えしておくと、
ネパールのルクラという街から、エベレスト登頂を目指す登山隊が基地とするエベレストベースキャンプまで歩くトレッキングコースがあって、おおよそ10日前後でガイドやポーター(荷物を運んでくれる人)と一緒にその道を歩くのだ。
春や秋の観光シーズンには、僕のようにエベレストを一目見ようと多くの観光客、登山好きが集まる場所。だから、僕はエベレストに登ったわけではない。さすがに無理である。
 

ルクラへ向かう途中の景色。8人乗りくらいの小さい飛行機の中から。事故率が高いらしく、ネパール人も乗りたがらないらしい。

 
始まりの町、ルクラの標高が2640mですでに自分たちが生活しているところとは違う場所からスタートして、高山病にならないように高所に順応しながら目的のエベレストベースキャンプ(5356m)、そしてエベレストの眺望のいいカラタパール(5644m 最近の調査で数値が変わったらしい)を目指す旅。

宿はテント泊ではなく、道中にあるロッジに宿泊をし、ご飯もそこでいただく。テントを背負っていきたい気持ちや、自分で荷物背負っていきたいなぁなんて思ったけど、「郷に入ったら郷に従え」でポーターさんもお願いすることにした。


旗の5色は仏教においてその精神や智慧を表すそう。


ルクラを出発し、まずはナムチェバザールという街を目指して森の中を歩く。生えている木の種類が杉(たぶんヒマラヤ杉)だったりもするのでなんとなく馴染みのある景色っぽいけれど、多少のアップダウンはあるし、身体がまだ慣れてないのもあってちょっとキツかったりもする道を1〜2日かけて進む。 

荷物を運ぶ手段は、人間か動物が背負って運ぶ。車やバイクはない

 
ナムチェバザールという街は、山の斜面に色とりどりの建物が立ち並び、周囲を見渡せば雪をかぶった雄大な山々の絶景が堪能できる、とっても印象的な街だった。

カラフルな建物が特徴的。

ここは、エベレスト街道でもっとも栄えている集落といっていいだろう。
街にはロッジはもちろん、ヒマラヤ登山に使いそうな本格的な登山ギアが売っているお店もあれば、お土産屋さんもたくさんあって、非常に賑やか。標高は3440mで、ここで2泊高度順応のために過ごした。

宿泊したロッジからの景色。山と建物の距離感に圧倒される


ナムチェではここで暮らす現地民族らの生活を垣間見ることができるし、今回泊まったロッジの窓からは絶景が見渡せた。
さらに、10分ほど高台に歩いたところにある展望台にいけば、美しい山々がほぼ360度楽しめる展望スポットがあって、ここからの景色は圧巻。
5000〜6000m級の山々に囲まれていて、日本ではみられない絶景が待っていた。晴れていればエベレストをはっきりと見ることができる。


展望台からみたエベレスト。望遠で撮ってるから近くに見えるけど、そこそこ遠い 


建物と山との距離感が。。。


空のグラデーションが素晴らしい。


圧倒されそうな迫力のある山々に囲まれた場所に立ち、その景色を眺めながら「随分遠いところまで来たなぁ」と心の中でつぶやいた。
まだネパールに入って2〜3日しか経ってないし、本格的なトレッキングも始まってないけれど、
普段見られない美しい山々に囲まれることが、まさに非日常な体験だった。

余談だけれど、ナムチェは、佐久間的また訪問したい世界の街、2位にランクイン(1位は不動、NZのクイーンズタウン)。絶景と首都からのほどよい距離感・立地、仏教やシェルパなどの宗教、人々の営みと、異国情緒を味わうには充分すぎる場所でもう一度訪れたい街になった。
 
ちなみに、早い人はここで高山病になる可能性があるらしいけど、幸い僕は特に症状がなく、2泊目はぐっすり眠れたので東京を出発したときよりも元気だった。

森林限界を突破。エベレストに近づく。



ナムチェを出発すると、いよいよ本格的なトレッキングが始まる。ここからおおよそ4〜5日かけて、エベレストベースキャンプを目指す。
朝ごはんを食べて出発し、午前中から昼過ぎくらいまで先に進む。宿でチェックインを済ませたら、高度順応のために宿周辺の山を登り、降りてきて夕食を済ませ就寝するのが1日の基本的な流れだ。

歩く距離はそれほど長くないけれど、気になるのはやはり高山病で症状が出ないようにするためには、1日で上がる高度を500mまでにするのがいいんだそう。先に進んでは、高いところまで上がって順応していき、それを繰り返しながら少しづつ目的地に近づいていく。


4000m前後で森林限界を迎え、景色は一変していく。顔を上げれば6000〜7000m級の山々が前に、右に、左に、後ろにそびえ立っている。

「あそこは日本人の○○さんが登ったよ」とガイドさんが教えてくれるのだけど、その話を聞く度に「なんであんな岩壁登るの?死んじゃうじゃん」とごくごく一般的な感想が自分の中で繰り返される。どう考えても普通じゃない。

現代はもう人類未到の地はほぼなくなってきているけど、それでもなお厳しい条件をつけながら、前人未到のルートや岩壁を登っている人を本当に尊敬する。そこへと駆り立てるものがその人の中にあること、そしてそれを実行に移す胆力が素晴らしい。アウトドア、アドベンチャーの頂点がそこにあって、そんな人たちが集まる場所がここヒマラヤなのかもしれない。


そんなことを思いながら、こちらは一歩一歩エベレストベースキャンプに向かって歩いて行く。大きな荷物はポーターさんが持っているから、体の負担はそれほどないけれど、高度順応のために5000mにタッチしたあたりからは段々としんどさが増してくる。明らかに足が重たくなるし、呼吸も浅くなってしんどい。このままここにいたら頭痛くなりそうだなって感覚も自分の中にあった。

登っては体を慣れさせ、降りては宿で休息をとる。これの繰り返しは高みを目指してトレーニングを積むアスリートのそれのように思えた。

初めての5000mタッチ。苦しかったけれど、すでに達成感があった。

 
「山登りは人生と一緒」という言葉を聞く。
日本で実際に山を登っていたとき、山頂に向かって一歩一歩自分の足で歩き続けていくことは、たしかに人生と同じように感じていた。
その感覚は、勝手にずっと右肩あがりで登り続けていくような感覚があったのだけれど、
このトレッキングを体験して思ったのは、より高いところを目指すのであれば、負荷をかけて力を振り絞って登るときもあれば、安全地帯に降りてしっかりと休むことも、その目標を達成するためには必要なんだろうなぁということ。ひたすら登り続けるのではなく、意図して休んでもっと高いところを目指す。

自分は、休むのが苦手でやりたいことに対していつまでも走り続けていたくなってしまうタイプだから、ちゃんと休んで高みを目指すということ、これからは意識してやっていきたいなと素直に感じた。

 


ロッジは、ルート上の各所に点在して、食事はすべてロッジでいただく。食材や荷物は人か、動物が運んでいるため、高いところに行けばいくほど食材は乏しくなるし、値段も高くなる。
4500m付近までは、食材もそれなりにあってネパールの国民食のダルバード、モモ(蒸し餃子みたいな)、ピザやサンドイッチなども食べられる。建物も変わらず彩り豊かで、富士山よりも高いところに村があるなんて不思議だった。

ダルバートはネパールの家庭料理


5000mを超えたあたりでは、著しく食材が減っていく。未だにバイクすら通らない、こんなにも長い生活道路があるのかとカルチャーショックを受けた。でもそれゆえにこの旅路のおもしろさ、非日常的な空気感が増していることも考えると、どうかこのままであり続けてほしいと、イチ旅行者としては思ってしまう(ここで生活する人は別の考えなのかもしれないけれど)。

ついに5000mで宿泊。エベレストベースキャンプへ

右奥に見えるのは氷河。

5000mを超え、いよいよベースキャンプが近づいてきた。 ここから先は、すぐそこに氷河のある世界だった。気温は、晴れていればそんなに強烈に寒さを感じないけれど、日が沈むとめちゃくちゃ寒い。北軽井沢と似たような感覚だった。

 

エベレストベースキャンプの手前、最後のロッジがある「ゴラクシェプ」に到着。ここからベースキャンプまでは歩いて2~3時間くらい。夢だった場所は、もうすぐそこのところまで来た。

宿の食堂には各国の国旗がたくさん。どの国の人にとってもやっぱりエベレストは特別なんだなぁとしみじみ。


早速、宿に荷物を置いてベースキャンプへ向かったのだけど、このときの体調は結構ギリギリだった。

「このまま前に進んで目的地に辿り着けても、自分の足で歩いて帰れるのか」
という不安が常につきまとっていた。前日にヘリでカトマンズまで運ばれた人がいた話を聞いていたし、実際たくさんのレスキューヘリが飛んでいた。

でも、やっぱりここまで来たら最後まで行きたい。

気力を振り絞りつつも、ちゃんと安全に帰ってこられるよう無理はせず、自分の中で気持ちを整理をして先へと進んだ。

天気は最高だった。歩いていて気持ちよかった。 

人生で何度も画像を見てきたあの場所、
自分の心の中で何度も映し出されていたあの場所が、
もうすぐそこのところにあるのかという期待感やワクワクと、夢が現実のものになるということがいまだ信じられないという気持ちが混ざり合っていて、少し浮き足だつような感覚だった。

そして、たどり着いたエベレストベースキャンプ。
ついに、夢だった場所に自分の足で歩いてたどり着くことができた。その達成感といったら、今までの人生で一番だったかもしれない。
寒さ、標高、疲労、精神面、結構しんどいものがあったけれど、それらを乗り越えて自分がここに来たかったという思いを、最後まで持ち続けて無事にここに辿り着けたこと。本当に嬉しかった。

その感動を、ガイドのハスタさん、ポーターのジバンさんとがっしりと抱き合って分かち合った。まだ出会って1週間くらいだけど、一緒に部活に励んだ仲間みたいになっていた。


あまりに嬉しすぎて、そしてここの景色が美しすぎて。しばらく周囲の景色にうっとりしていたら、エベレストが顔を覗かせてくれた。

事前にガイドさんから「ベースキャンプからはエベレスト見えないよ」と言われていたから、これにはびっくり。

「ほんと、ラッキーだね!しかも今日は1月1日、ニューイヤーだし!」と言うハスタさん。たまたまこの日は元旦で、幸運にもそんな日にこの場所に来ることができて、これ以上ない1年の始まりになった。

何度も見てきたエベレストの写真。
そこに映る空の色は、黒を含んだ青色をしていてとても不思議に思っていたけれど、実際に僕が自分の目でここから見た空は、たしかに黒みを帯びた青空だった。
「宇宙に近いから」なんて言う人もいるけれど、エベレストの頂点はまさしく地球上で最も宇宙に近い場所なのだから、宇宙の黒色が空に反映されているように思えるとちょっとロマンがあるように思えた。

「5644m」この旅で最も標高の高い場所へ

ベースキャンプから戻ってきたその夜はかなり冷え込んで、油断すると体調を一気に崩してしまいそうだった。

翌朝は、この旅で最も標高の高い場所「カラタパール(5644m)」へ登る予定だったから、ちゃんと寝て身体を休めたかったけれど、寝袋に入っても興奮が冷めないからか寝つきが悪い。
トイレに行って戻ってくるだけで息が苦しくなる。5000mを超える場所で泊まることの厳しさを痛感しながら眼を閉じた。

朝4時くらいに起きて、カラタパールに向かう。ヘッドライトをつけ、わずかな灯りとハスタさんのルート案内を頼りに登っていく。めちゃくちゃ寒い。途中、寒すぎて手足の感覚がなくなり、凍傷になってしまうのではと不安に思った。それくらい寒かったし、正直登っていたときの記憶はほとんどない。横目でわずかに見えた山々のその影が美しかったこと、その景色をギリギリでカメラに収めたことくらいしか覚えてない。あとは必死に登り続けた。



そうしてたどり着いたカラタパール。ここはこの旅の最高標高地点であり、そして何よりもこの旅で最もエベレストを間近に見ることができる場所でもあるのだ。
そこから見たエベレストは、ここまでの道中で遠くにみてきたエベレストとも、昨日ベースキャンプで見えたそれとも違う、
圧倒されるような、険しくもあり美しくもあるその姿がそこにはあった。

僕はこの山、この姿をみるためにここに来た。

エベレストに登る人たちは、ベースキャンプから、山の間を右に進んで、途中で左に折れてそのまま頂上に向かっていくんだよなぁと地図でみたルートを実際の山を前にして辿ってみる。5000mでこんなにしんどいのに、8848mにチャレンジする人たちはすごすぎる。

だんだんと太陽が上り気温が高くなるにつれて気持ちも少し楽になってくる。
僕の前にたどりついたインド系の旅行者とグータッチして、ここに来られたことを讃えあった。互いに記念撮影をして、この長旅のゴールにたどり着いたもの同士、国籍関係なく讃えあえるのもいい。

そうこうしているうちにカメラもスマホも寒さでバッテリー切れになってしまった。
この場を離れるのが惜しい気持ちもあったけれど、後ろ髪をひかれつつ宿に戻ることに。そこからは始まりの町「ルクラ」を目指して来た道を戻るのみ。
4000m付近まで戻ってくると体が楽になって、5000mを超える場所に居続けることの体への負担の大きさを改めて感じた。


「夢と目標の違いとは」を考え歩き続けた


ずいぶんと長くなってしまったので、そろそろこのnoteを締めくくりたい。歩きながらいろんなことを考えたのだけど、一番心に残ったのが「夢と目標の違いってなんだろう?」ということだった。

エベレスト街道を歩くこと、自分の目でエベレストを見ることは、僕がバックパッカーをしていたときには明らかに夢だった。その夢を叶えるためにあそこに行ったのだけれども、はて、これは夢だったのか、それとも目標だったのか?と自分の中で疑問が出てきた。
「夢と目標の違いってなんなんだ?」
 
堂々巡りをしながらたどり着いた僕の中での答えは、「夢は今の自分のままじゃ到底叶えられないことであって、目標は筋道をたてていけば近いうちに達成可能なもの」なんじゃないかなってことだった。

20代前半はお金も知識もなく、単なる憧れだったこの旅が、時をへてそれなりにお金を持てるようになったこと、そして何よりも雪山登山を少しやっていたから装備一式がほぼほぼ揃っていたし、寒さにも耐性があったからあそこまで辿り着けたのは間違いないことだった。
 
少し話がそれるけど、僕は北軽井沢でキャンプ場を経営している。それもかつては夢だったはず。
20代前半で「いつかキャンプ場をやりたい」という夢をもち、でも当時は金もなければ経験もツテもない。それが、30代になって、それまで築いてきた関係性や仕事での経験が積み重なって、いよいよ本気でキャンプ場をやろうってなったとき、「これとこれとこれをクリアすればキャンプ場はできる」と夢の実現までの道筋がより明確になって、そうなったときに夢だったものが目標に変わったんだろうなぁということを思った。
 
最初は「こういうことしてみたいな、こういう自分になりたいな」とぼんやりと考え、夢を描いた先に
「じゃぁどうやったらそれを実現できるのだろう?」って具体的なステップを考えてみる。
そのステップの達成が目標であり、その目標を実現していくうちに、夢だった場所に辿り着けたり、夢に思い描いた自分になれるのではないだろうか。

そんなことをエベレスト街道を歩きながらぐるぐると考えていた。

僕は夢を叶えるために、エベレスト街道を歩いた。

なにもキャンプ場の立ち上げで激動だった一年の締めくくりに行かなくてもいいのにって、今となっては自分でも思ったりするけれど、エベレストに行くことは長年の夢だったし、キャンプ場はたしかに大変だったけど、負荷がかかった分を発散するかのように、大きなことに挑戦したくなったのかもしれない。

それと、アウトドアの真髄に触れてみたいという気持ちが、自分が北軽井沢という自然豊かな環境に身をおいたことで、より欲求として大きくなってその衝動に突き動かされた気もする。

今、行かないと「いつか」はきっと来ない。

衝動に突き動かされていった僕のネパール旅。夢を叶えた旅。

まだまだ実現したい夢はたくさんある。これからも僕は先に進み続ける。


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Sakuma Ryosuke
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