退屈な人生はつまらない
「朝起きても何もすることがない」と言われる高齢者がいらっしゃいます。若い時には考えられないことです。時間に追われる日々と比べると、時間の感覚がまったく違うことでしょう。
私は疑似体験をしてみました。
「朝起きても何もやることがない」という想定で、目覚ましをかけずに寝ました。何時に起きても、あるいは起きなくてもいいわけです。
朝4時40分、外でウグイスが鳴き始めました。(ウグイスは夏でも鳴いているんですよ)
朝7時に目が覚めましたが、また寝ました。8時にまた目が開きましたがもう一度寝ます。9時、さすがに寝てられなくて起きました。とりあえずいつものように顔洗って、朝食を摂って、ゆっくりコーヒーを飲みます。時計を見てもまだ10時です。
あえて何もしないと決めているので、洗濯もしないし、パソコンの電源すら入れません。テレビも見ません。ラジオも聞きません。部屋の中は静かです。
何もすることがないわけですから、椅子に座ったまま、ボ~っとしています。必然的に時計を見る回数が増えます。なかなか時間が過ぎていきません。風の音だけが聞こえてきて、庭でお花が揺れています。
午後2時を回りましたが、お腹が空きません。何もすることがない時間は、何かを考えることもしません。トイレ行って鏡を見たら、今日は髭を剃っていないことに気付きます。でも今日は誰に会うこともないので、そのままにします。
午後3時、飽きてきました。お腹も空きません。限界です。私には耐えられないほどの屈辱です。
高齢者で何もすることがないという人でも、テレビはついているそうです。しかしちゃんと番組を見ていることはないと言われます。静かだから、音が欲しいだけみたいです。さらに映像が動きますから、目のやり場に困らないのでしょう。そこにそれ以上の目的はありません。
人生の終盤で退屈になるのは悲しい
生きている限り、楽しむことを忘れてはいけないと思います。
自分が高齢になった時、何も楽しみがない、何もすることがない、そんな悲しいことにならないために、若い時から打ち込めるもの、楽しめるものを一つでも多く持っておくことが大切です。
年と共にできなくなっていくのは仕方がないことです。ですから一つや二つできなくなっても困らないためにも、たくさんの興味を持つ精神力が必要です。
退屈=単調だったり、刺激がなかったり、何もすることがなく、嫌になる様子。 暇をもてあますこと。