『サピエンス全史』感想ー認知革命
ユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書は、発売当初から多くの議論を呼んでおり、今でもその影響は色褪せていない。友達に読んだ感想を伝えるような気軽さで心に残ったことを書きたいと思う。
ハラリ氏によると、狩猟採集をやっていた何十万年前にはホモ属(ヒト属)といっても、ヨーロッパとアジア西部にはネアンデルタール人、東アジアにはホモ・エレクトス、アジア全域にデニソワ人といったように多くの人類種が存在していた。
私たちは、正式にはホモ属のサピエンスという種で、東アフリカ発祥だ。犬や猫に多くの種があるように、サピエンスは一つの人類種でしかない。かつては多くの人類種が並列する形で存在していたという事実が衝撃的だった。勝手な思い込みではあるが、人類は直線状に進化してきたと思っていたからだ。
ネアンデルタール人などその他の人類種が追いやられ、地上から消えた理由は、はっきりとは分からない。ただ、ネアンデルタール人はサピエンスよりも大柄で逞しく寒冷な気候にも適応していたので、腕力で負けたわけではないようだ。
ハラリ氏の仮説では、サピエンスには7万年前に認知革命が起きたことが決定的だった。認知革命とは、新しい思考と意思疎通の方法の登場をいう。
認知革命により、私たちの言語は驚くほど柔軟になった。ライオンは仲間たちに「気をつけろ!」と叫ぶことはできるが、人間のように「今朝、川の曲がっている近くでライオンがバイソンの群れの後を辿っているのを見た」と説明することはできない。
さらに、ある芸術家はドイツのシュターデル洞窟でライオン人間を彫った。このことは、認知革命後のサピエンスが現実にあることだけではなく、神々や神話、精霊など想像上の事柄をイメージし、「ライオンは我が部族の守護霊だ」と言う能力を手にしたことをあらわしている。
この虚構について語る能力は、見知らぬ大勢の者同士で柔軟に協力することを可能にした。これは国家や会社を例にすると分かりやすい。例えば、現代の日本には1億人以上の国民がいるが、多くは面識がない。それでも地球上の人々が日本という国の存在を信じているので、日本人同士で効果的に協力することができる。
手で触ることもできないし、目で見ることもできない。言ってしまえば、日本国は法的な書類上の存在であり、私たちの想像が生み出した虚構だ。サピエンスは、そのような虚構を発明してきたという。
架空のことを語り、見知らぬ人同士で共通の目的のために行動できるようになったことで、サピエンスは一気に食物連鎖の頂点に立った。他の人類種を追いやり、多くの大型動物を滅ぼしたのだ。
ハラリ氏の虚構について語る能力こそ人類の独創的な発明という説明は興味深い。宗教、貨幣、国家、株式会社、さらにはインドのカースト制度や近代アメリカの人種制度、日本の士農工商など、多くの虚構を私たちは当たり前に受け入れてきた。
自由や平等、資本主義という思想も虚構だ。私たちの社会がいかに虚構に依っているか考えを深めると、それらについてどれだけ深刻で強大であっても「想像上の産物じゃないか」と絶対視しなくなった。社会に対しての理解を揺さぶられる、そんな一冊だ。