晩年の作品は憂いを帯びてくる
名のある作曲家の晩年の作品は、不思議と憂いを帯びているものが多い気がする。それは死が迫って来ているのを感じているせいなのか?青年期の作品と比べてみると、やはりどことなく憂いを感じる。もちろん作曲技術の向上もあるだろう。晩年の頃には楽曲も複雑化していることも多い。いくつか例を挙げてみよう。
モーツァルトの晩年の作品は、長調のものであってもどこか悲しげな雰囲気が漂う作品が増えてくる。最期の年である1791年に作られた作品群はその傾向は一気に強くなる。
ピアノ協奏曲第27番やクラリネット協奏曲など、両者は長調であるがどこか悲しさを含む作品になっていると思う。
この悲しさというのは、母アンナ・マリアの死の年に書かれたピアノソナタイ短調やヴァイオリンソナタホ短調で感じられるような悲しさではない。どこかもの憂げで自身の死を予感しているような感じがする。
他には死の約半年前に書かれたアヴェ・ヴェルム・コルプスがある。
ニ長調で書かれているが、今までニ長調を使った作品、楽章には華やかな曲想が多かったが、この曲は瞑想的な作品に仕上がっている。
モーツァルトは最期まで作曲スタイルは崩さなかったタイプの作曲家ではあるが、独特の憂いを帯びた晩年の作品群はいずれも傑作として認知されている。
ではシューベルトはどうだろうか。
シューベルトは晩年に近づくにつれて深い音楽を作っていくようになっていく。歌曲においては、冬の旅や白鳥の歌は初期の歌曲に比べると、やはり深い音楽になっていってると思う。
糸を紡ぐグレートヒェンや鱒などの旋律的な明解さは後期の歌曲では影を潜めているが、音楽的な緻密さはやはり彼の作曲技法が上がったからこそ成し遂げれた業であると思う。
ピアノ作品においては、4手のための幻想曲や第19番〜第21番のピアノソナタは音楽の中身、構成的も成熟した部分がうかがえる。ピアノソナタに関してはこの3曲とも演奏時間は40分近い大作に仕上がっており、和声的な難しさはそこまでないが、中身は難化しており聞く側にとっても一回聞いただけではわからない造りになっている。
また最期の年には弦楽五重奏曲が作曲されており演奏時間1時間という大作が出来上がっている。ハ長調で書かれているが、明るさの中にどことなく隠れている悲しさが時折顔を見せてくるような作品になっている。
ベートーヴェンはどうだろうか。やはり若い頃の作品と聞き比べてみると晩年特有の憂いを感じられる。音楽的な面では対位法的書法を採用し、彼の生涯にわたって重要視されているジャンルである変奏曲をより高みへ昇華させていることがポイントだ。
彼の最後のピアノソナタ群である第30番~第32番は、先ほど述べた音楽的な特徴が強く反映されている。
第30番は短いソナタ形式の第1楽章と第2楽章、そして第3楽章の長い変奏曲といった構成をとっている。
第31番はソナタ形式、スケルツォと続き、第3楽章では序奏ーフーガという構成をとっている。
第32番は全2楽章構成でソナタ形式ー変奏曲とこれまでのピアノ作品の集大成ともいえる構成をとっている。
そして第九を作曲した後は、後期の弦楽四重奏曲5作(第12番~第16番)が作曲された。第13番~第15番では楽章が増加しているのが特徴。そして第13番では本来終楽章として作曲された大フーガが作曲されており、ここでも対位法的書法が活かされている。そして最後の弦楽四重奏曲第16番では第3楽章に変奏曲が置かれている。このような音楽的な特徴がベートーヴェンの後期作品の大きなポイントだ。そして初期の弦楽四重奏曲と後期の弦楽四重奏曲を聞き比べてみるのもいいと思う。作曲的な技法の発展を感じられるだろうし、速いアレグロ楽章でも後期作品には憂いを感じさせる部分があると思う。
次は誰を挙げようか・・・正直挙げたい作曲家は山ほどいるが果てしないのであと2~3人に絞ろう・・・
ショパンはOp60を超えた作品のほとんどが音楽的、内容的にも頂点に達したときだと思っている(とはいえOp66からは遺作になるので、実際に該当するのはOp60~65までだ)。Op60はあの舟歌嬰ヘ長調だ。
Op64の3つのワルツはわかりやすい曲想で書かれているが、Op61の幻想ポロネーズ、Op62の2つのノクターン、Op63の3つのマズルカは作品としてかなり成熟した書法がうかがえる。
そして生前最後に出版されたOp65チェロソナタト短調。内容的にかなり発展した書法で書かれており、その前に作曲されたソナタ作品より深い音楽に仕上がっている。とはいえピアノソナタ第2番、第3番で使われた再現部における第1主題の省略などはこのチェロソナタでも採用されている。個人的には第2楽章がニ短調で書かれている点が目に留まる。ショパンの作品の中でニ短調はあまり使用されていない。かなりレアな調選択だ。おそらくチェロが演奏しやすい調を選択しようと考えていたのかもしれないが・・・
そして、死の年にかかれたマズルカヘ短調。半音階的で無調に近いパッセージも含まれる。迫りくる死を感じ静観しているような感じの曲想だ。大きな憂いがこの曲には含まれている。
あとはなんと言ってもマーラーは忘れてはいけない。交響曲第8番(千人の交響曲)を作曲したあとは、大地の歌、そして交響曲第9番が遺された。この2作はマーラーの他の作品に比べると内省的で、落ち着いた雰囲気を漂わせている。交響曲第9番は古典的な4楽章構成だが、両端楽章が緩徐楽章になっている。この2つの楽章はかなり深みのある音楽となっており、第9番以前の交響曲の緩徐楽章と比べても雰囲気はかなり異なっていると思う。この作品が完成したのは1909年。亡くなる2年前のことだ。心臓病の診断をされたこともあり、死に対しての意識が反映されているように思える。そしてフィナーレの最後の小節には「死に絶えるように(ersterbend)」と書かれている。
そして、残念ながら未完成に終わってしまった交響曲第10番もひどく内省的で憂いを含んだ美しい作品になっている。全5楽章構成で真ん中にプルガトリオ(煉獄)と称された短い曲が配置され、プルガトリオの隣の楽章は共にスケルツォ、そして両端楽章は第9番と同じく緩徐楽章になっている。マーラーの手によって完成させることができていれば、間違えなく交響曲の代表作の一つとなっていただろうが、それは叶わぬ夢になってしまった。現在はなんとか形になっている第1楽章のみ、もしくはクックによる補筆版がよく演奏されている。他人の手が入ってしまってはいるが、補筆版は一度聴いてみてほしい。
話は尽きないが、一旦一区切りとさせていただく。