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読書感想文的な22 『犬がいた季節』伊吹 有喜

1988年夏の終わりのある日、高校に迷い込んだ一匹の白い子犬。「コーシロー」と名付けられ、以来、生徒とともに学校生活を送ってゆく。初年度に卒業していった、ある優しい少女の面影をずっと胸に秘めながら…。昭和から平成、そして令和へと続く時代を背景に、コーシローが見つめ続けた18歳の逡巡や決意を、瑞々しく描く青春小説の傑作。

昭和、平成、令和と時代が移り変わっても、高校生でいられる3年間ってとっても大切な時間。
わたしが進路に1番悩んだのは高校生のころだった。
中学から高校は、自分の偏差値に見合った高校への進学だから「成績があがらない」以外の悩みはなかった。
高校から大学への進学は、人生の岐路だと思う。
地元に残るのか、残らないのか。
何を学ぶのか。何を学ぶのか考えるってことは、つまりわたしはなにになりたいのかを考えるのと同じだった。
そして、そのときのわたしたちには、なににでもなれる可能性があった。
多くの選択肢から何かを選ぶことは大人になっても難しいし、大きな決断をするには18歳はまだまだ子供な気もする。でも、18歳という勢いで下せる決断もあるのかなぁ、など。

昭和、平成、令和と、周囲の環境がどんどん変わっても18歳のころの悩みとかってもしかしたら普遍的なものなのかも。
でもさ、例えば恋なら恋で悩むことって高校生以降ももちろんあると思うけど、なんかもう別物じゃない?高校生の恋の悩みと20代の恋の悩みってもうなんか全然ちがう。ような気がする。あの甘酸っぱさみたいなの、いつ消えるん?


本の紹介の「18歳の逡巡」って言葉がとても好き。
「決断できずにぐずぐずすること。しりごみすること。ためらい。」
わたしたちはきっといろんな逡巡を乗り越えて大人になっていく。もちろん大人にも逡巡はある。
でもなんかちがうよね、18歳の逡巡。
30歳の逡巡って、なにかに挑戦するにしてもわりと結果が予測できるからこその逡巡というか、こうしたいけど失敗したときの修正に自信がないからどうしよっかな、みたいな逡巡じゃん。(個人的感想)
でも18歳の逡巡って、その先がどうなるか全く予測できないからこそのためらいってかんじ。(個人的感想)

18歳の逡巡、30歳のわたしなら、きっとためらわず下せた決断がたくさんある。でもためらってしりごみして考えて考えて考えることに意味がある3年間なんだと思う。

あのころに戻りたいと思うこともあるし、あんなころには戻りたくないとも思う。
戻りたいと思うのは、あのころの初々しさがうらやましくなるから。
16歳くらいの恋愛でもう1回悩みたい。笑
16歳なんか何やってもかわいいよ。失敗も笑える年齢だよ。箸が転がってもおかしいって大人は何言ってんだと思ってたけど、ほんと何もかも楽しくて笑える時期だったなぁ。
戻りたくないのは、あのころみたいな努力、もうできないと思うから。怠けることを覚えた大人に学校の授業は耐えられないね。何時間もおとなしく座って勉強するなんて、高校生はなんてタフなんだ。

「今しかできない」がたーーーーくさんあるから、きっと高校の3年間って大切なんだろうね。
もちろん今しかできないことは、年齢に関係なくいつでもあるんだろうけど。それをね、見つけやすいんだよ、高校生。
というか、高校生であることそのものが「今しかできない」なんだよね。
通り過ぎてからしかわからなかったな。

大人が言う「勉強しなさい」も大人になったら理由がわかるんだよね。
可能性のある若者に、さらにたくさんの可能性を持たせてあげたいと思うんだよ、大人たちは。
大人たちの経験を持ってしての助言には大いに耳を傾ける価値があるよ。
まぁみんながみんな役立つ助言をしてくれるとは限らないけど。


犬がいた学校、実在するらしい。
すごい決断だよね。飼いたいと言った生徒だって犬より先にいなくなっちゃうし、そのあと入学してくる生徒たちが同じように世話をするかなんかわからないのに。
「命をあずかることがどういうことか」を優花はちゃんと受け止めてたんだろうな。

全然どうでもいい話なんだけど、昭和の「不幸の手紙」が平成では「チェーンメール」になり、令和でもLINEで送られたりしてるの、青春時代ってみんなちょっとおバカで、よくはないけどなんかいいよね。笑
LINEで送ってくるのだいたい50代のおばちゃんたちなんだけど。
でもなんか内容はちょっと変わってて、「この画像を見た人は幸せになります。大切な人に送ってあげましょう」だけで、「送らなければ不幸になります」がなかった。ちょっとよくなった気がするよね。
昭和から平成、令和の間に進歩(?)したのかな。

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