66.「オフ」の時間
こんばんは。
今日は今朝の新聞から印象に残ったことについて。
僕の家は朝日新聞を購読しており、僕は必ず鷲田清一さんが寄稿する折々のことばと天声人語を読む。
毎朝どのような内容の記事が載せられているか楽しみにしている。
昨日は京都精華大学の学長ウスビサコさんの言葉が載せられていた。
ウスビサコさんのことは、京都精華大学に通う友人から教えてもらった。
うちの学長は面白いということを言っていたので、面白いアフリカ出身の学長がいるんだという認識程度だった。
その後、おばのFacebookの記事にもウスビサコさんが出てきて、ちょくちょく目にするようになった。
そして、昨日の折り折りのことば欄にウスビサコさんのことか書いてあり、あっ、と思った。
非常に胸に染みることばが載っていた。
前置きが長くなったが、内容は以下の通り。
私が日本に来て一番怖かったのは、この日本の社会は、どこに「オン」と「オフ」があるかがわからないことだった。
日本の外からの視点で、日本社会について語られている。
僕が特に気に入ったのは後半の文章だ。
人は与えられた物差しに自分を当てるのではなく、自分を見つめる「オフ」の時間の中でこそ、個として成長するのにと。
「オフ」とは、究極に自分と向き合う時間であり、その時間の中にこそ自分自身の成長を見込める。
他者の介在を一切許さず、ただ自分と向き合う。そこにはスマホもSNSも友達も入り込んではいけない。
自分自身と誠実に真正面から対峙する時間。
それは孤独な時間だ。
孤独こそ自分を成熟させていくために必要なものだ、と言い換えられるかもしれない。
僕は今孤独だ。
仕事もしていないし、一日中誰かとなにかをする必要性が全くないし、義務もない。たまに人と会うが、基本的に誰とも連絡は取っていないし、SNSもほぼしていない。
必然的に24時間一人でなにかをすることになる。
働かないとダメだと思う時もあるし、周りからも言われることもある。
でも、確信を持って言えるのは、
このスーパーニートの期間で、自分は着実に少しずつ成長しているということ。
そして、この時間は非常に大切で、後になって振り返った時に必ずこの期間があって良かったと思えると確信している。
寂しい、誰かに会いたい、話したい、遊びたいという想いや働かないとダメ人間になってしまうという焦燥感などもかつてはあったが、今はほとんど皆無だ。
ただひたすらその日その日で自分のできることややりたいことを積み重ねていく。その都度自分と対話をし、自分と世界を知る作業をしている。
そこに他者の存在はほとんどない。たまに妄想に浸っている時はあるけど。
お金がなくなるまでは、この生活を続けてもいいと思っている。
さすがに自分の自由に使えるお金が無くなったら、仕事をしなければならないし、家も出ていくつもりだ。その時はまた新たなスタートになる。
それまでは、このスーパーニートという究極の「オフ」の時間を大事にしたいと思っている。
サコさんの記事を読んだことでらより一層今の時間の有り難みを感じたし、また支えてくれる家族や周りの方々にも感謝したいと思った。
そして、自分は間違っていない。と思えた。
そもそも間違いなんてないし、現時点ではそらが正しいか間違いかはわからない。
それがわかるのは10年後20年後かもしれないし、一生わからないかもしれない。
大切なのは、自分を信じて、今歩んでいる道を着実に踏みしめながら一歩一歩前に進んでいくことだ。たまに後ろに下がってもいい。
もっともっと自分を見つめて、自分を知りたい。