レッテル
日々のあれこれ、
感じたことあれこれ、
綴っていこうと思います。
取り敢えず手始めに、
本日のタイトルは『レッテル』
私は何かとレッテルを貼られることが多いです。
森ガールが流行った時は森ガール扱いをされ、
歴女が流行った時は歴女だね、とよく言われたし、
最近は『健康オタク』というレッテルを背負って生きています。
動物モチーフなど森っぽいものは好きではあるけれど、
自分のことを森ガールだと思って洋服を選んでないし、
私は歴女なんだ!ふんふん!と自称して幕末を語ったりはしてないし、
健康オタク最高!この栄養最高!うふふ!みたいな感じで
スーパーへ足繁く通ってるわけでも、日々サプリが増えていくわけでもないので、
レッテルを貼られる度に違和感があります。
他者が評価する私と、自分が思う私。
このギャップに居心地悪く感じることが多く。
(見た目と中身のギャップもありすぎるし 笑。これはもう諦めてます)
人は人(他人)を枠にはめたがる生き物なのだと。
一見無駄だと思うような会話もコミュニケーションの一環なのだと。
こんな風に書いてはいるけれど、別に気にしてはいないし、
ただこの現象をちょっとだけ掘り下げてみたかった。
小さなことを掘り下げて言葉にする訓練をして、
語彙力、表現力がある人になりたいと思い生きてたし、
単に文を綴ることが好きです。
語彙力、表現力でどんな本を読んできたのか、
はたまた読んでこなかったのか、
どんなコミュニティで生きてきたのか、
見透かされてしまうという、怯えもあります。
饒舌だから凄いとか、口下手だからダメな人ではないけど、
生きやすくするためのツールだな、と。
高学歴な人が世の中学歴じゃないよと言うのは、
学歴だけじゃどうにもならないことも沢山あるということ。
お金持ちな人が世の中お金じゃないよと言うの、
..以下(ほぼ)同文。
そこに属してるからこそ、説得力がある言葉なのだ。
語彙力も、表現力も、
勿論それが全てではないけれど、
生きやすく、企画しやすく、
自分自身をプロデュースしやすくするためのツールなのだと思います。