符号と記録

符号になんの意味があるだろうか。

この疑問は割合昔から僕の中にあって、しかもただ固着するというよりは、ニヒリズムと絡まり合って反語的なニュアンスを強めていた。

だが考えてみればそんなことはどうでもよくて、実のところ僕はまんまと符号に囚われていたのだ。そして、それを佳しとしているのも事実であった。


なんのことかといえば、元号の話である。本日2019年4月30日をもって平成が終わり、令和と名付けられた新たなピリオドが始まる。勿論これは天皇制ありきの符号であって、皇室が政治的権力すら持たない今となっては尚更元号の交代が実質的な変化をもたらすとは言い難いし、そもそも天皇制を維持することについて考えなければいけない点は山のようにあるし、現政権に対する不信感が元号の発表でうやむやにされてしまったような感じもあるし、でもそういったことは僕の書こうとしている文章の趣旨ではない。

時代というものが決定的な変化やそれをもたらす何かによって区切られていくとしたら、気がつかない間にすぎてしまった一連のシークエンスは何と名付けられるべきであろう。僕の尾骶をくすぐりそわつかせるものは、時代と呼ぶにはお門違いかもしれない、そういう曖昧模糊とした「平成」であった。漫画日本の歴史でしか見たことのなかったこのふわふわとした時間の終焉は、僕が生まれた時代に僕が生きたという当たり前めいた事実を、よりヴィヴィットに思い出させるのかもしれない。


だから、ここで僕は改めて記録したい。成人した時にさえ確かめそびれた人生の実感を今初めて感じているのは、無視してはいけないことのような気がするのだ。よって、以下は個人的(かつ散文的)なものとなる。それらが如何に平成的であったか、平成的という形容詞のナンセンスさも含めて、赤ん坊を愛するように全て包容しながら読んでいただきたい。繰り返しになるが、僕が生まれた時代に僕が生きたということをなぞる作業になると思う。厳密に時間軸に沿うわけではない。



・プラレール

電車の玩具。プラスチック製で、電池仕掛け。プラレール2000という文字列を見たことを強く覚えているが、これが一体何だったのかは思い出せない。


・恐竜

父は毎年恐竜博に僕を連れて行ってくれた。知的好奇心を楽しむことを覚えたのは恐竜がきっかけだったように思う。小さなたくさんのフィギュアが透明の筒状プラスチックパッケージに詰まったものを買ってもらった記憶があるがどこかへ行ってしまった。


・ムシキング

ゲームを禁止されていた僕にとって、同じマンションに住む友達との唯一の共通言語であった。初めてゲットしたのはヒメカブト。新羽(横浜市)のマックスバリューにて。


・コラショ

目覚まし時計を持っていた。真ん中のとさかがボタンになっている。他のことは思い出せない。小学一年生の頃は友達がいなかったような記憶がある。放課後に遊ぶということに憧れていた。


・日韓W杯

家の近くの横浜国際競技場(現日産スタジアム)が会場の一つであった。父だけが観に行き、僕と母は鶴見川沿いを散歩した。公式マークが少し怖かった。


・ポケモンコロシアム

同じマンションに住む友人の家で良く遊んだ。スイクン(?)を求めて研究所のような施設に入り込むところがお気に入りだった。後に誤って友達のデータを消してしまい、絶好騒ぎとなった。


・デオキシス

先述の友達と仲直りをすべく、一年ほどぶりに一緒に遊ぶことになる。親の付き添いでダークライの映画を観に行ったのだが、事前のweb投票で一番投票率が高かったキャラクターがゲーム内の取得キャラクターとして来場者に配布されることに。絶好中の彼はデオキシス狙いであったから、僕は何度もアクセスしてデオキシスに投票した。この時のインターネットのことを思い出そうとすると、脳の奥で唾液腺が刺激されるようなむず痒さを覚えるのだが、結局何も思い出せない。


・ミニ四駆

小学四年生の時担任だった西村先生の勧めで遊び始めた。信じられない程熱中して、静岡のタミヤ本社まで行ったりした。初めて買った車体は写真のレイボルフ。


・浅草

友達と二人きりで浅草へ行った。小学五年生の頃。ミニ四駆の大会に出るため。


・キッズケータイ

中学受験で塾に通うようになって、親に持たされた。高校までキッズケータイのままで、それが恥ずかしかった僕は、高校生の頃御茶ノ水に捨ててきてしまった。


・エナメルバッグ

何の才能もなかったものの、僕はサッカー少年で、エナメルバッグに強い憧れを持っていた。みなとみらいのkamoスポーツでアディダスのものを買ってもらい、有頂天になった記憶がある。


・ゆずのリボン

初めて買ったCD。


・BOOK-OFF SUPER BAZAAR

東戸塚に巨大なブックオフがあり、中学の帰り道に良く寄り道した。中学二年生の時、親に内緒で8000円のレスポールを買った。中に100円のドリンクバーもあった。


・OUTDOORのリュックサック

中学3年生になると、皆学校指定のカバンをやめて自分のリュックで登校するようになった。コンセントのような装飾がついたものが流行っていたが、僕のリュックにはついていなかった。


・The Beatlesのリマスターパック

中学二年生の頃父親が買ってきて、少し背伸びをしながらとにかくたくさん聞いた。ホワイトアルバムがお気に入りだった。


・andymori

林間学校の帰り道に友達と寄り道した秦野(?)のTSUTAYAで初めてandymoriを聴いた。中学二年生の時。家に帰って初めて曲を作った。


・あまちゃん

初めて、朝ドラを毎日全て見た。能年玲奈が本気で好きだった。橋本愛のことも好きだった。


・代々木公園

友達とあまちゃん展を見に行き、そのあと代々木公園でだらだらと過ごした。ヘイトスピーチの車がNHKの前を行ったり来たりしていた。高校一年生の頃。


・千葉滋賀佐賀

ニコニコ動画で流行っていた動画。良くわからないが好きだった。他にも色々あった気がするが思い出せない。


・香川真司

好きで応援していたがマンUでは不遇の時を過ごした。友達に少しだけ顔が似ている。この頃、サッカー部は辞めてバドミントン部に転部した。


・新宿エロフェス

バドミントン部の先輩に連れられて初めてライブを観に行った。ircle、うみのて、hallo hawk、快速東京、東京カランコロン、art-schoolなどを観た。帰りが遅くなって親に叱られ、二日目は行けなかった。米騒動が観たかったのだが。先輩はそのうち部活を辞めた。


・渋谷 桜丘

高校生になると塾に行き始めて、3年間ここに通った。大学に入学したすぐ後にCIRCUS Tokyoで働き始めたので、ずっと桜丘で過ごしてきたような感じがする。


・コンフェデレーションズカップ 日本対イタリア

試合が登校時間と重なっていて観れなかった。電車に乗っているときは2-0で勝っていたはずなのに、後で確認したら負けていた。


・伊坂幸太郎

とにかく熱中していた。砂漠を読んで、大学生活へのイメージを膨らませていた。


・安部公房

伊坂幸太郎の次は安部公房にハマった。友達に貸した箱男は、高校卒業式の日まで帰ってこなかった。


・music revolution

当時組んでいた2ピースバンドで応募した。一次選考を通って銀座のYAMAHAまでわざわざ演奏しに行ったが、ダメだった。ホワイトストライプスになりたかった。

・御茶ノ水 シモクラ楽器セカンドハンズpart2

よく通った。一時間くらい試奏して、何も買わずに帰ったりしていた。


・ダイエー横浜店

バドミントン部に入部してからしばらくは部活に熱心になれず、毎日のように寄り道した。イシバシ楽器やレコファン、本屋やフードコートがあって、非常に楽しかったが、最近閉業した。近くにはドンキホーテやDISK UNIONがあった。


・ラーメン二郎

バドミントン部で、試合に負けてここでラーメンを食べて帰った。


・yahyel

大学生になり、初めて一人でライブを観に行った。D.A.N.目当てで行った写真のイベントでyahyelを観て、DTMを始めた。


・CIRCUS Tokyo

初めてのバイト。


・新宿JAM

良く出た。トイレが臭かった。


・突撃洋服店

大学二年生の初夏、友達と高田馬場に行こうとしていた際、肌寒いのでここで長袖のシャツを買った。この頃からH&Mで服を買うのを辞めた。


・WWW WWWX

二つ目のバイト。


・トマス アクィナス

大学の授業で受けたトマスアクィナス解説が気に入り、それ以来何かにつけては思い出す。


・やよい軒

高校生の時から数えると何度行ったか知らない。


さて、悪いことに僕は飽きてしまった。続きはまた符号に支配された時にしようと思う。


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