好きになるっていうことは
私の場合、本当に好きなものに出会うと、頭の中がしーんとするらしい。
みぞおちのつかえみたいなものがとれて、すっと息がしやすくなる。
酸素が身体に行き渡るような感覚になって、
息を吹き返す。
好きなら知識を披露せよ
長年、この感覚は「好き」とは別物だと思っていた。
「好き」ってもっとのめり込むものみたいに思ってたんだと思う。
例えば私は昔から、クラシック音楽、絵画などが好き(今思えば)だったのだけど、作曲家の名前、画家の名前と、作品、時代なんていうものは全く一致しない。
本当に好きな人から言わせれば、「エセだ」と言われそう。
なので「別に好きじゃない」と言っていた。
造詣も深くないくせに「好き」なんて言うな、と、なぜが心の中の外野の声がとぶので、
「好き」がわからない、という悩みが結構長く続いた。
また、分からない、ってことが恐いので、
私なりの“好き”なものを発見すると、言い聞かせるように自分にも人にも語っていた。
あの心理は一体なんだったんだろう。
別に、名前を知らなくても、
“なんだか知らないけど”心ひかれる花があったっていいのに。
クロード・モネ 「日傘をさす女」
世界の片隅に、
一つでも私を理解してくれる存在があると知ったら
私は人に言いたくない孤独を抱えていた。
人からすれば一笑されてしまうような紙切れみたいな孤独。
ある冬の夕方、音楽を聴いて、泣いた。
何度も聴いたことのある曲だったけど、なぜかその瞬間は私の中にすっと入ってきて、
人が感じるはずのないものを、この歌い手も感じるのだと知って泣いた。
「もっと普通に考えたら?」
「真面目に考えるのやめたら?」
言われすぎて、私はなんだかおかしいらしいと思うようになって、
人のことが怖くなった。
だけど、あの瞬間を通じて、
この世界の誰か、じゃなく、“なにか”が、私を理解してくれることもあるのだと知った。
それを「芸術」とか「アート」と呼ぶのかも知れないけど、きっとそんなたいそれたものでなくていい。
この想いは、きっと誰にもわかりえない。
きっと、この歌い手にも、わからないことかもしれない。
だけど、私は実際に救われた。
理屈はない。
だけどきっとそれは、とてもいいことなのだ。
長谷川潔 「飼い慣らされた小鳥」
人種が違うこと
世界には、白人とか、黄色人種とか、黒人とか、、、いろいろ呼ばれてる人がいて、
最近は、LGBT+Qとか、ジェンダーレスとか、無性愛者、ギフテッドとか、
まぁまぁ、色んなアイデンティティーを持った人がいることも、話題になっている。
けど、もっともっと細かい違いがあるんだろう。
今でも、「人となじめない」と思う瞬間がちょこちょこあるけど、「この人とは話す言葉が違うのだ」と思うようになった。
世界の片隅にいけば、きっと私の“方言”を理解できる少数民族がいるはず。
出会えたときはほっと一息ついたりできるんだろうからさ、と。
どこかに仲間がいるなら、それだけで生きていける気がした。
冬のラップランド
「好き」がわからなくても
きっと、こうして私は少し強くなって、
「好きに理由はいらない」ってことを信じられるようになった。
何で好きなの?と訊かれても、
「知らない」と言っていいんだということ。
絵画を見て、「いい匂いがしたから」とか、 音楽を聴いて、「時が止まったから」とか、景色をみて、「帰りたいと思ったから」とか。
人にはわかり得ない、意味不明な感想でいい。むしろそれがいい。
アイルランド モハーの断崖
自分の「好き」の描写が、自分の言語で見つかったら、世界にもっと色がつくのかも。
だから毎日楽しいです。
ありがと。