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そうやって、どちらかを選ぶと、選ばれなかったもう一方が悲しむというのなら、世の中がいつもそうやって理不尽な選択を迫ってくるというのなら、仕方がないことだって、知った風に大人面するような社会なら、私は一生子供で良い!
車輪の国名言集、第11弾です。このセリフは『車輪の国』という作品の中で、私が自衛隊時代に最も感銘を受けたセリフの一つかもしれません。
自衛隊にいると、何度も何度も理不尽な場面に直面します。どれだけ正しいことを言っても、上の人がダメだと言えば受け入れてもらえなかったり、あるべき姿よりも体裁や面子を気にしたり。仲間をかばって自分だけ罰を受けるか、あるいは本当のことを話して全員で罰を受けるか、という究極の選択を迫られることもありました。
自衛隊に限らず、社会は理不尽なことで溢れています。「みんなが幸せを求めているのになぜ傷つけあうの?」とか、「世界には飢餓で苦しんでいる人がたくさんいるのに、どうして先進国では食糧を大量に捨てているの?」とか。
身近な例で見てみても、会社で働いている人が「私のほうが結果を出しているのに、どうしてあの人のほうが評価されているの?」と思ったことがある人もいるのではないでしょうか。
「仕事のキャリアと家庭とどちらを選ぶの?」というような選択に迫られることもあります。特に女性の場合は、「家庭を優先するべき」みたいな圧力をかけられることもあるでしょう。
そのような社会の理不尽に対して、あなたならどう対処しますか?
理不尽を受け入れて諦めるというのも一つの選択肢です。それが「大人」になるということなのかもしれません。
しかし、私自身は諦めたくないと思っています。確かに諦めるほうが楽な場合が多いでしょう。でも、それだと社会は何も変わりません。この社会を良くするためには、理不尽に対して「間違っている」と声を上げ続けるしかないのです。
理不尽を受け入れて諦めることが「大人」であるというのなら、社会の用意したレールに従わないのが「子供」であるというのなら、私は一生「子供」のままでいたいです。
あなたは、社会の理不尽を仕方ないと諦める「大人」になりたいですか?それとも、理不尽に立ち向かう「子供」でありたいですか?
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