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100日後に年越すオレ 67日目「た:太閤立志伝」

”いろは順”エッセイの十六日目、本日は”た”です。

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"た”で選んだ題材は、「太閤立志伝」。KOEIが作った、僕の中で大好きなゲームシリーズの一つ。なのでnoteの題材募集「#心に残ったゲーム」としても書こうと思います。

今回のメインテーマである「太閤立志伝」は、太閤=豊臣秀吉を主人公にした”リコエイションゲーム(RÉKOEITION GAME)”で、第一作は1992年にPC-9801シリーズで光栄(現コーエー・テクモゲームス)から販売されました。
この”リコエイションゲーム”というのは光栄の提唱した独自のゲームジャンルで、”ロールプレイングゲーム(RPG)+シミュレーションゲーム(SLG)”という、両者の良い所取りを狙ったゲーム。太閤シリーズ以外には大航海時代シリーズ維新の嵐シリーズなどがあります。いうなれば主人公として成長しながらシミュレーションゲームの要素で遊べるというもの。そして今思い返せば、僕の人生はこの「太閤立志伝」との出会いにより変わったのだと言っても過言ではないのかもしれません。

1.Sくんと共に、「太閤立志伝」に出会う

僕がこのゲームに触れたのは、小学校5年生の頃。仲の良かったクラスメイトのSくんと僕は、当時としては珍しいパソコンを持つ家庭同士ということで仲良く遊んでいました。Sくんの親は医者で、僕の親はというと学習塾経営と県庁職員。どちらも直接IT関連の職業では無かったものの、先見の明があったのかわかりませんが、早いうちから子供にも家庭でパソコンに触れさせていたようです。そんな時、Sくんのお父さんから勧められたのが、発売したばかりの「太閤立志伝」でした。

Sくんが5インチのFDD、そして僕が3.5インチのFDDのバージョンをそれぞれ購入し、遊び始めてすぐに僕らは夢中になりました。来る日も来る日もそのゲームの話ばかり。気付けばそのゲームを通して多くの武将たち(とはいってもほとんどが織田家関連)のことを話すようになり、いつの間にかゲームだけじゃなく戦国時代の話も二人で沢山話しました。
自慢ではないのですが当時の僕は勉強が出来る方で、クラスのトップをSくんと争っていた身。二人とも当時は医者になりたいなんて漠然と思っていたものです。そうこうしているうちに、僕らは小学校を卒業することになりました。Sくんとは別々の進学の道を歩み、それ以降はほとんど会うことがありませんでしたが、このゲームに触れるたびに、彼のことを思い出します。

Sくんが順調に医者への道を歩んでいる一方で、僕はというと無類の歴史好きから読書好きになり、いつのまにか志向は完全に文系に。将来の夢が医者から物書きになったのも中学から高校にかけてのことでした。そしてその後には文系の大学に進学し、今も文系の仕事についていると考えると、その原点は「太閤立志伝」にはまり、歴史が好きになったことだと言えるのです。そう、僕の人生を変えたゲーム、それがこの「太閤立志伝」というわけですね。

では何がそこまで僕らの幼心に刺さったのか。それを考えてみたいと思います。これは当時についての考察なので、考察対象はシリーズ一作目の「太閤立志伝(PC版)」です。※なんと今やsteamで遊べちゃいます!

2.初代「太閤立志伝」の魅力とは?

シリーズ第一作目は1992年発売ということで、もう30年近く前のゲームとなります。僕が遊んだのもPC98シリーズで、フロッピーディスクをガチャガチャ入れ替えて遊んでいました。つまりはWindowsが無い時代ということです。そしてその後スーパーファミコンにも移植されます。

PC版とスーファミ版はいくつか違いがあるようなのですが、僕はPC版しか遊んでいないので、PC版を前提に書いていきますね。

まずは何と言ってもプレイ自由度の高さ。これ自体はシリーズ通して、もっというと”リコエイションゲーム”自体の特徴でもあるんですが、この初代においては、プレイ設定やコンピュータ側の思考設定が逆に甘いこともあって、恐らく開発側も想定していない状況が起こってしまう余地があるんですね。それが初代にしかない魅力だったりします。

例えば初代においては主人公は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)しか選べず、また仕官先も織田家のみなんですが、コンピュータの行動により平気で主人公の出世の道が閉ざされます。そもそも「太閤立志伝」のゲームの目的は、任務をこなしたり自身の能力を鍛えて出世し、仕えている織田家、または自身が大名になった場合は自身の天下統一を目指すわけです。それなのに自身が城主になれず、他の武将の与力としてその配下にさせられるわけです。つまり”左遷”ですな。そうなるといくら頑張っても自分が城主になる道は無くなり、そしてそうなると謀反だったり”本能寺の変”のイベントで自分が大名になる道も無く、飛ばされたお城で上司である城主と二人で細々と過ごすことになるわけです・・・。そんな理不尽な!

これは実はバグのようで、順調に進めば史実通り長浜城の城主に任命されるんですが、様々な条件が重なるとこれが起きてしまうようです。このバグに最初に気付いたのはSくん(当時小学六年生)で、彼は自分の上司が明智光秀になってしまい、これはこれで”本能寺の変”イベントが起きると面白いのでは?と思い進めたものの、主人公が信長の下に居ないとなかなか話が進まず、結局途中で投げ出したという記憶があります。今考えてみると”本能寺の変”イベントの条件で恐らく主人公が城主であること、というものがあるはずなので、どちらにしてもイベントは起きずに光秀に飼いならされるしかなかったんじゃないかなと。
ちなみに二作目以降は他家への仕官が出来るので、そうなれば暇乞いをして新たな道を選ぶことが出来るので、一応解決策は用意されてるんですけどね。

続いての魅力は、この作品にしかない”ダーティーさ”。今でもユーザーから高い人気を誇る理由でもあるんですが、「これこそ戦国時代だよね」という仕様がいくつもあります。まずは”辻斬り”。要は通り魔ですね。RPGゲームでフィールドを歩いているとモンスターに襲われるかのように、このゲームでも敵対する大名が支配する地域を歩いていると、敵対武将からいきなり襲われ、戦いに敗れるとそこでゲームオーバーとなります。これがなかなかシビアで、RPGだと自分のそのタイミングでのレベルに合わせた敵が出るように調整されているわけですが、このゲームはそんなことはありません。瞬殺されてしまうような相手からも容赦なく斬りかかられてしまいます。ですので街から街へと移動するときにもビクビクで、特に武田家の武闘派集団(例えば高坂昌信とか)が恐ろしいのなんのって。軍馬購入の主命(ミッション)をこなすにはどうしてもその辺りで仕入れる必要があり、本当に命がけでの任務となります。

襲われて死の恐怖を感じるのは辻斬りだけではなく、相手武将を引き抜こうと調略を仕掛けた時も、失敗したら戦いになるし、もっと言うと主君である信長様の不興を買うと手打ちにされて即ゲームオーバーという厳しさ。まあこれが本来の戦国時代なのかもしれませんが、この辺のシビアさは次回作以降は影を潜めたので、初代ならではの魅力となっているんですね。

それ以外にもダーティーな要素はあって、それが”魅力”という能力値。これを上げる手段はいくつかあって、例えば魅力が低い武将を辻斬りして殺してしまうとなんと魅力が上がったり、これも初代だけの要素ですが街の宿屋に泊まると時折遊女と出会い一夜を共にすることが出来て、アゲマンサゲマンで魅力が変動するという仕組みなんですね。そして魅力が変動して自宅に戻ると、奥さんである”ねね”から「おまえさま、心なしかお顔が輝いておりますよ」なんて言われちゃったり。人を殺しただけなのに!遊女と浮気をしただけなのに!という理不尽さ。これもまた魅力ですね。

その他、大名屋敷に忍び込んでその姫様と仲良くなったり、主君からの主命に対して悪事(竹を黒く塗って鉄砲と偽って納品するなど)を働いてお金をちょろまかしたり。そんなダーティーな戦国生活を送れるというのが、最大の魅力だと思います。もちろんデメリットも多いんですけどね~。例えばエリアに東北や四国、九州が無いので、その辺の武将たちが丸ごと出ないとか。
あとは別の魅力とすれば、味のあるグラフィックにBGMも、今でも記憶に残るくらい好きですね。

詳しくはこちらをご覧ください! 今やsteamで遊べるわけだから、一人でも多くの人に体験して欲しいですね。

3.シリーズの変遷とシリーズを通しての魅力とは?

とうわけで、初代についてはある程度語り尽くしたので、その後のシリーズについてまとめて語ろうと思います。

まずは「太閤立志伝2」。これも名作です。1995年発売で、僕は初代プレステでプレイしました。この最大の特徴はポリゴンのちょっとお茶目なキャラクターと、同行システムや宴会などの配下武将との交流でしょうか。特にシリーズ唯一の実装である”同行システム”が好きです。
これは主人公が行動をする際に配下武将の中から一人を指名して同行させることが出来る機能で、例えば敵対武将や山賊に襲われたときに代わりに戦って貰ったり、遠征先で宿屋に泊まった時に技能(スキル)の指南をしてくれたり。あとは自宅に住まっている配下達に各地で買ってきた銘酒をふるまって宴会をして朝まで酔い潰れたり。
こうして苦楽を共にした配下達は、自分が謀反を起こした時にもついてきてくれるんですよね。この絆は熱いですし、僕らが思う理想の戦国時代の主従関係ですよね。現実はそんなに甘くないわけですが。

それ以外にも合戦時の陣形が充実したり、主人公で選べるキャラが増えたり、織田家以外にも仕官できるようになったりと、システム面では初代よりもだいぶ自由度が増えました。

実は僕自身、この「太閤立志伝2」は思い出深く、1997年に開設した自分のホームページ上で攻略コンテンツを掲載していたんですよね。あとはゲームリプレイのコンテンツも載せてました。掲示板でユーザーからの質問を受け付けたり。そういう意味では、シリーズで唯一「情報発信者側」として楽しんだ作品だったかもしれません。


そんな二作目から4年後。1999年に発売された「太閤立志伝3」。これはネットで見れば分かりますが、シリーズファンから酷評された作品でした。僕はPC版をなけなしのおこずかいで購入し、大学受験の合間に楽しもうとしたのですが、シリーズの良さである”自由度”が皆無になりストーリー重視、つまりほぼ一本道のRPG的になってしまい、まあ一巡目はまだしも一度クリアしたらもうやらないよね、という感じで、何度も何度もプレイして楽しめるが売りだったこのシリーズでは致命的な内容だったのです。当時はかなり憤っていたんですが、今思い返してみるとそんな駄作だったからこそゲームに没頭することもなく、無事に大学進学出来たということなんで、ある意味僕の人生にとっては良かったのかもしれません。結果論ですが。


「太閤立志伝」シリーズ、お次は2001年の発売された「太閤立志伝4」ですね。これは僕はPC版でプレイしましたが、正直発売と同時に買うということは出来ませんでした。この頃になるとゲーム系の情報サイトも増えたので、購入前にしっかりとレビューをチェックして見定めたわけですが、その時のレビューで印象に残っているのが「オレ達の太閤立志伝が帰ってきた!」というもの。正にこの言葉通り。3の失敗と反発をしっかり改善に活かしてもらい、これまでのシリーズの魅力である”自由度”を最大限広げようという心意気を感じました。全体を通してカードを集めるような機能となり、主人公として選べる武将もカードを集めることで選べるようになりかなり増えたほか、武士以外の身分のプレイもサブ的な形で楽しめるようになった感じです。これも楽しかったなあ。


そして最後。シリーズ最終作となる「太閤立志伝5」。こちらはプレステ2でプレイしましたね。発売は2004年。ちょうど社会人になるタイミングでの販売だったのでリアルタイムでは遊べなかったのですが、個人的には発売後暫くしてはまることになりました。これまでで最高数の武将を収録しており、全武将が本人が出世を目指すための主人公として選べるということ。それだけでなくオリジナル武将も好きに作れる他、武士だけでなく忍者、海賊、商人、剣豪、医者、鍛冶屋、茶人とプレイスタイルが選べ、それぞれにイベントやエンディングが用意されているという自由度。商人や海賊だと琉球やルソンといった都市にも出かけることが出来て、個人的にはとても嬉しかったことを覚えています。あとは茶人でこだわりの茶器を作って高く売りつけたり、茶器の代わりにお城をもらって大名になったり。

前作と同じく、武将と仲良くなることでその武将のカードを貰うことが出来、主人公として選べるようになるのですが、約1000枚のカードを集めきった時の達成感ったら無かったです。まあ結局主人公として遊んだことがあるのは、1000分の30人くらいなんですが。あと時代設定もいくつかから選べて、特にフリーシナリオである”夢幻の章”では実際の生年とは関係のないオールスターのパラレルワールドになっていて、それがまた面白い。竹中半兵衛が豪商になっていたり、史実で有名な武将の妻が宿屋の娘として働いていて求婚出来たり。歴史好きだからこそ楽しめる世界がそこにはあると思います。

あと個人的にはこの「太閤立志伝5」で出てくる”名所札”というのが好きなんですよね。これは「冨士山」とか「鹿島神宮」とかのように日本各地の名所を訪れると入手できる札(カード)で、全部で32箇所ありまして。これを現実で制覇することが旅の目標だったりするんですが、気付けば残り5箇所となっていました。鳥取の大山、和歌山の高野山、愛媛の石鎚山、山形の月山、そして茨城の袋田の滝となります。なんか山ばかり💦 全国を回るたびにこの名所札のことをチェックし、旅程に組み込んでいたので、そういう意味では名所札一覧を眺めると旅の思い出に浸れるんですよね。素敵です。

札のシステムでは名所だけではなく芸術品もアイテムとして揃っていて、「洛中洛外図屏風」だったり「蘭奢待」だったり「古天明平蜘蛛」やら「村正」などなど。こうした知識があると展覧会で実物を見たときに不思議な気持ちになれたりするのも良いんですよね。

4.シリーズのその後について

前述の「太閤立志伝5」は、発売から早くも15年以上経っているわけですが、我が家のプレステ2はこのゲームのためだけにまだ現役稼働中で、プレステ4だ、ニンテンドースイッチだ、プレステ5だと言っている今でも、冬になるとゆる~く楽しんでしまうんですよね。なぜ冬かというと、我が家の和室でコタツを設置し、そこに「太閤立志伝5」専用の液晶テレビとプレステ2を設置するからなんです。なので冬はコタツに入りミカンを食べながら、戦国時代の生活を楽しむわけですね。しかも年末にかけては大河ドラマも完結するわけで、今年の「麒麟が来る」のように、作品内で気になった武将を主人公に選んでのプレイが毎年始まるわけです。ある意味、我が家の冬の風物詩みたいなものですね。

しかしながら寂しいのは、15年経ってもまだ「太閤立志伝5」をやり続けていること。それはそれで良いのですが、本当なら続編をやりたいんです。新たな太閤立志伝シリーズを。そんな声はネット上でも多く聞こえます。

でも、5作目を作った後に製作チームが解散してしまったりだとか、某国にとっては敵である秀吉が主人公のゲームを作ると世論がうるさいからだとか、色々な理由(噂ですが)によってこれまでに続編の話は一切出てきていないんですね。これだけ望まれているのに!

それにこのシリーズって、ある意味オンラインゲームの走りみたいなものなんです。アンサイクロペディアのシリーズの解説にも記載がありますが、「一人でゆるーく楽しむオンラインゲーム」みたいなものなわけです。

豊臣秀吉や有名無名その他戦国武将で遊べる太閤立志伝において誰でも一人で気楽に遊べるネトゲ風のゲーム、すなわち世間に望まれている「一人ネトゲ」(アンサイクロペディア)

1992年のシリーズ開始から約30年。ネトゲが出るずっと前から、ネトゲ風のゲームとして君臨してきた太閤立志伝。今だからこそ、改めて続編を作って欲しい、と切に願っています。何ならほんとのネトゲになってもいいですよ。それでもこのゲームのファンたちは、他のユーザーとの競争には目もくれず、ただ黙々と自身の立てた目標を実現するために、プレイするんだと思います。

努力をすれば報われる。それこそ、史実では全く良い所が無く消えていった弱小武将でも、コツコツと努力して能力を目指せば、有名武将に勝ることが出来る。そんな理想の人生を体感できる「太閤立志伝」。改めて言いますが、”今だからこそ”、是非開発をお願いしたいのです。僕の人生を紛れもなく狂わせたゲーム。その新作でまた人生が変わってしまうのでは?という一抹の不安はありますが、その時はその時。待ち焦がれた続編が出来るのであれば本望です。コーエーテクノゲームスの皆さん、この思い届けっ!!

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