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インド日記 18日目

いつも読んで頂きありがとうございます。

仕事は真面目にいつも下準備していた私ですが、今年は、好きな時に仕事して、好きな時に寝て、自分のペースで好きなように暮らして。
お酒はワインを毎晩楽しんでいました。

楽しんでいたというより、助けてもらっていたというのが正しいのかも。

「ちょっと納得いかない」と思うことがあると、無視するように、このワインの時間で気持ちを紛らわせていました。
解決策を練ることしないで、考えないという手段。

だから問題が浮き出すことがなかったのかもしれません。

昨日、嫌なことをすべて書き出してみるという作業を行った後

問題を問題として受け止めて、私は怒っているんだと気づきました。
怒りという感情は私は押し殺す癖があったようで、
私って怒っていたんだと気づいたんです。

自分の中で変化が起きた
と思いました。

内面と向き合うって、こういうことなのかもしれません。何も解決していないのになんだか自分の本当の感情(怒っていたこと)に気づいて
当てはまる言葉が見つからないのですが、ふっきれたと思いました。

話は変わりますが、
シュリカンス先生のパンチャカルマを受けることを3年間も楽しみにしていたのに、実際入院してから、頭の中が未来のこと、過去のことばかり考えていて、心ここにあらずでした。

自分何してんの!?もっと今に心を置くべきでしょーと反省しながら、
自分の心が洗濯機の中にでぐるぐると洗われて、
いろんな感情が汚い服から洗い出されているような感じす。
そんなことを、シュリカンスの患者さんでもあった、私の哲学の先生、嶋田先生にメールしました。嶋田先生も同じようにご自分とこの病院で闘った方なので私の気持ちをよくわかって下さり、こうおっしゃってくれました。「サットバ的な幸せです」

サットバ的な幸福とはバガヴァットギータによると初めは苦いけれど、後に甘い幸せというものです。

いま、シュリカンス先生のところでとことん落ちてください。ここだったら、安心して落ちることができる。

サットバ的な幸福。アサナも、仕事もそう、辛くても頑張れば、サトビックな幸せが待っている。

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