自分のことを名前で呼ぶ女性の心理
自分を名前で呼ぶのは特別視願望
たまーに、出会いますよね。
大人なのに自分のことを名前で呼ぶ女性に。
「カナは、スイーツが好きなの」
「モエは、最近キャンプに凝っててね…」
とか。
このような会話を平常心で聞き流せる方は、
本当に人間が出来ていると尊敬します。
私は、決して聞き流せず、
鬼のような顔で「はぁ~??」っと言ってしまうのです。
心の中で。
まだまだ出来ていません。
さて、なぜ自分のことを名前で呼んでしまうのでしょうか。
トーク心理学的に分析すると……、
成人しても自分を名前で呼ぶ女性の共通する大きな欲求は、
「特別視願望」です。
特別視をして欲しい理由は人それぞれですが、
過保護だったり、
逆に自分の存在感を得られない環境で育ったりということが
よくあります。
どんな過程であっても、成人してからも自分を名前で呼ぶ人の深層には、「私はみんなと違う特別な存在」なんだから、
「私にもっと注目して」「私は素敵」「みんなと同じ扱いはイヤ」という、『特別視願望』があります。
だからこそ、みんなと同じ「私」じゃ、ダメなんです。
とはいえ「自分は特別」という気持ちは、誰の深層にもありますよね。
ひとりひとりが特別な人間であることは間違いないし、
人間ってみんな自尊心が強いものだから。
でも、「自分は特別」から「自分は特別扱いされるべき」という領域に入りがちなのが、自分を名前で呼ぶ人の特徴です。
矢沢永吉さんの「やざわ」はブランディング
これは、苗字を自分で呼ぶ人も同じです。
「佐藤はそう思う」というように。
代表的なのは、矢沢永吉さんです。
矢沢さんは、自身で成り上がりと言っているように、
自分を「やざわ」と呼び、
自らを「特別視」することでのし上がってきました。
彼の場合は、ブランディングです。
意図的に「特別視」を演出していますし、
ファンはそれを分かっています。
それに、ステージを降りてからの普通の会話で、
自分を「やざわ」と呼ぶわけではありません。
こうした意図的なブランディングでない限り、
自分を名前で呼ぶ人が煙たがれ手しまう理由は、
特別視願望が『自己中心的』に映ってしまうからです。
特別視願望の裏にある不安
自己中心的な人は誰だって「面倒だな」と感じてしまいますよね。
裏を返せば、自分は特別だとアピールしなければ認めてもらえないという
不安を隠し持っているということも事実です。
人はひとりひとり個性があり、強みがあり、魅力があります。
不安を拭い去る意味でも、小学校に入ったあたりから、自分を名前で呼ぶことを卒業し、一人称は「私」にしてはどうかと思うのです。