上野から常磐線経由で仙台方面へ
首都圏から仙台方面へ向かう場合、いくつかの手段が存在するが、多くは東北新幹線一択であろう。所要時間では新幹線に勝る交通手段はない。しかし、所要時間に比して料金が高額であるなど、よりリーズナブルに移動したい人にとっては条件が良いとは言えない。それらを解決手段として、東北本線(在来線)で移動する方法があるが、こちらは乗り継ぎが多く所要時間も6時間~7時間を擁するため選択肢から外れてしまう。一方で乗り継ぎを無くし、ダイレクトに結ぶ手段として高速バスがあるが、こちらは運行本数が限られるため昼間の移動は現実的ではない。もはや策なしと思ったところに実はもうひとつの手段があることに気付いた。それが同じ在来線でも常磐線経由を利用する方法である。上野から仙台まで直通する特急ひたち号が1日3往復運行している。朝、昼、夕方に1本ずつ運行で所要時間は4時間半^5時間程度で東北本線経由よりも所要時間、乗り継ぎ回数の面で優位に立っている。仙台発着の特急ひたち号は福島県浜通り地域を経由するため、首都圏と仙台を結ぶ列車として機能しているが、首都圏を仙台を結ぶ列車でもある。しかし、特急列車は1日3本のため、時間帯を選ぶ必要に迫られる。
そこで、編み出したのが特急列車と普通列車を乗り継ぐ方法である。乗り継ぎは2回発生するが、快適に移動できることが判明した。今回は実際に乗車し、乗り継ぎを体験することで快適な移動となったのかを解明していきたい。在来線で移動する新たな手段となったのか、そのあたりも注目してお楽しみいただきたい。
上野→いわき
特急ひたち7号(上野10:00発→いわき12:07着)
全体行程の中間となるいわきまでは特急ひたち号を利用する。特急ひたちは、1時間おきに運行され、新幹線と並行しない常磐線は国鉄時代を彷彿とさせる特急街道とも言える。常磐線の特急列車は、いわき・仙台方面の「ひたち」と茨城県内の中小都市をきめ細かに停車する「ときわ」の2系統で、2本/hを基本に最大4本/h運転する時間帯もある。平日の朝夕は通勤特急としての役割を果たしている。
当日は上野10:00発の特急ひたち7号に乗車した。しかし、出発直前に想定外の事態が発生した。宇都宮線内での線路で人が立ち入り、安全確認のため宇都宮線、東海道線が運転見合わせとなり、上野から品川間を走る常磐線の列車にも遅れが発生した。
実はこのあとの行程で特急ひたち号から普通列車への乗り継ぎが予定されており、運転状況によっては旅行の中止も検討せざるを得ない状況であった。幸いにも運転再開し、少々遅れて上野を発車した。しかし、まだ気が抜ける状況ではなかった。
この日は遅れが生じたため、所定の時刻は以下の通り。
上野を発車すると、ひたち号は水戸まですべての駅を通過する。時間帯により柏や土浦に停車する列車もある。途中駅に停車しないノンストップだと1時間5分〜10分で水戸に到着する。ひたち号、ときわ号にはE657系車両が使用される。2012年にデビューした常磐線特急専用車両である。臨時列車として他線区に乗り入れることもある。10両固定編成で2列シートながら普通車、グリーン車ともに座席間隔が広めに設定され快適である。普通車でも座席のグレートが高いので、長時間の乗車でも身体への負担を考慮した設計なのかもしれない。
この日は先の運転見合わせの影響を受け、常磐線の快速・普通列車にも遅れが生じた。北千住から取手までは東京メトロ千代田線から乗り入れする常磐線の各駅停車と並行する。列車は東京都心を抜け、順調にスピードを上げていく。常磐線はいわきまで130km/h運転が可能である。JR東日本発足から3年後には651系車両が導入されて以降維持されている。特急スーパーひたちと名付けられたこの列車は、高速特急列車の基礎となったことを特筆しておきたい。
しかしながら、我孫子駅の手前、茨城県内に入ってからも土浦付近で先行列車との間隔が狭まり徐行を余儀なくされた。上野を3分遅れで発車したが、土浦手前で8分遅れにまで拡大した。東京近郊の快速・普通列車は土浦までの運行がほとんどであり、この駅を境に水戸方面の列車は日中1時間あたり2本運転となる。
拡大した遅れを取り戻すべく、土浦から先は最高速度で駆け抜け、在来線の特急列車としての意地を見せた。
しかし、水戸到着時点で遅れは回復できなかった。水戸は茨城県の県庁所在地であり、水郡線と鹿島臨海鉄道との乗換駅である。
水戸から先、勝田、日立、泉、湯本にすべてのひたち号が停車するほか、次の2パターンに分かれる。
①日立、磯原、泉、湯本、いわき②東海、大甕、常陸多賀、日立、高萩、勿来、泉、湯本、いわき
①が停車駅が少ない列車となり、上野からいわき間を2時間7分程度で運行する最速列車となる。上野を10:00、12:00、14:00、16:00に発車する列車が該当する。
勝田駅は常磐線の運行上の拠点であり、勝田電車区が存在する。特急ときわ号は勝田止まりとなる。一部は茨城県のほぼ最北端に位置する高萩まで運転される。グリーン車を連結した10両編成の快速・普通列車も高萩までの運行される列車を除きこの駅で折り返しとなる。勝田ではいわき行きの普通列車と接続したが、遅れがなければ水戸での接続であった。
特急ひたち7号は水戸から停車パターン①で運転され、日立まで一気にすすむが、直線が少ないためか減速する箇所もあり、遅れ回復が実現できず、日立手前で遅れは11分に拡大した。問題はいわきでの乗り継ぎであった。所定の時刻ではいわき駅7分での接続予定であったが、遅れがこれ以上拡大すると、今回の移動旅は水泡に帰してしまう可能性がまだ残っていた。そんな懸念を抱いていた折、車掌からいわきで接続する普通列車と特急ひたち7号が接続を取ることがアナウンスされた。この接続を逃すと、いわきから原ノ町まで運転間隔が広がり、3時間近く待つことになっていた。とりあえず、接続を取ることが分かったので一安心した。
勝田を過ぎると、太平洋が見渡せる区間である。一方でこの先は日本のエネルギーの一大拠点となる原子力、火力発電所が立ち並ぶ。日立製作所の創業の地日立に停車する。日立駅の自由通路から見える太平洋は圧巻で、一度下車してみたい場所である。特急ひたち7号はさらに北へ向かう。留置線を擁する高萩は通過し、次の停車駅は磯原である。
磯原の次の大津港を含むこの辺りは北茨城市に位置し、茨城県の最北端である。この先のトンネルを抜けると福島県となる。江戸時代には関東と東北を隔てる勿来の関が設置された場所である。特急ひたち号の一部が停車する勿来は通過した。すでに福島県いわき市に入っている。泉、湯本と連続停車するが、この近くに小名浜港があり、車窓からは確認できないが福島県の一大港として機能している。
湯本駅は映画フラガールのモデルとなったスパハワイアンリゾートの最寄り駅である。かつて常磐炭鉱と呼ばれた街はリゾート施設を兼ね備えた温泉地へと変貌を遂げている。
湯本を発車するとおよそ5分で終点いわきに到着した。残念ながら、遅れは回復できず12分遅れて12:19にいわきに到着した。到着した隣のホームには、乗継予定の普通原ノ町行きが停車しており、30分以上にわたり接続待ちをしていた。
上野からおよそ200km進み、ちょうど半分の距離である。ここからは普通列車で常磐線を北へ進んでいく。
いわき→原ノ町
普通列車原ノ町行き(いわき12:17発→原ノ町13:38着)
懸念された乗り継ぎを無事に終え、いわきを12:22頃に発車した。所定の時刻から8分遅れでの発車となった。いわきからは普通列車を乗り継ぐ移動となる。
福島県の南部いわゆる浜通りと呼ばれる地域を走る。四ツ倉、広野、富岡、大野、双葉、浪江を越えていく。四ツ倉までは複線区間となるが、その先は広野から木戸間を除き単線となる。
最高速度95km/hに抑えられるが、この日は遅れもあり、駅間では最高速度いっぱいで走り続けた。各駅での乗り降りは少ないことも影響したのか、徐々に遅れは縮まっていた。いわきから先の特急ひたち号に乗車すると、広野、富岡、大野、双葉、浪江、原ノ町、相馬(一部は亘理と岩沼に停車)に停車する。沿線風景も大きく変化し、集落が減り、山間の区間もで始めた。富岡から浪江までは東日本大震災からおよそ9年の月日を経て運転が再開した区間である。常磐線も福島第一原発事故による帰還困難区域内に該当し、運休を余儀なくされた。発災当初はいわき以北が運休となったが、復旧が進むにつれて、運転再開区間を拡大した。四ツ倉を過ぎ単線区間に入ると、列車は海沿いを走るが、近くに峠が迫っておりトンネルが連続する。一瞬だけ見える太平洋は迫力があったが、ほんの僅かということもあり、海の絶景は楽しめなかった。山間を越え、街が開けてくると広野に到着する。
広野の次はJヴィレッジである。この駅周辺にサッカーJリーグの合宿拠点が整備されているが、駅が新設されたのは東日本大震災後である。トンネルに隣接した場所にホームが設けられ、階段を登ったところに改札がある風変わりな駅である。この駅で降りる客も少なくなかった。
木戸、竜田と順調に停車し富岡に到着した。常磐線が全線復旧するまでいわきからの列車は富岡で折り返し運転を行っていた。福島第二原発は富岡の手前に位置しているが、小高い山を越えた先にあるため、常磐線から発電所建屋を確認することはできなかっま。この先に位置する福島第一原発についても同様である。
東日本大震災の大津波により富岡駅の駅舎は流され跡形もない姿となってしまったが、整備を行い、元の位置で復旧している。
富岡を発車すると、この先はいよいよ2020年以降に再開した区間と
を走る。最初の停車駅は夜ノ森である。夜ノ森は桜の通り抜けで有名な場所である。夜ノ森から浪江間は津波の影響はほとんどなかったものの、原発事故の影響をダイレクトに受けることとなったが、地震の直接的な被害を受け、地上設備の復旧が不可欠であった。帰還困難区域の解除時期が見通せない中ではあったが、2015年の政府方針で2020年春までの運転再開方針が示された。
夜ノ森から先は内陸を走行する。大野、双葉、浪江と順に停車していく。大野ー双葉間は複線であったが、復旧に際して単線化し元の線路は避難道路に用途変更されている。
普通列車は富岡を境に運転本数が減るため、列車交換もほとんど見られない。その甲斐あってか遅れは徐々に解消され浪江到着時点で3分程度にまで回復していた。かつて、特急スーパーひたち号も停車していた小高を出発するとまもなく終点の原ノ町には13:41に到着した。E531系は原ノ町までの乗り入れとなる。そのため仙台方面へ普通列車で乗り通すことはできない。このあと14:08発の水戸行きとして折り返した。原ノ町では2度目の乗り継ぎとなる。
原ノ町→名取
普通列車仙台行き(原ノ町14:02発→名取15:10着)
乗り継ぎまで20分ほどであったが、接続する仙台行きは隣の3番線から発車するためホームで待機することにした。駅構内は留置線を要しており、常磐線の中継拠点としての役割を有している。東日本大震災後しばらくは651系4両編成が留置されていたが、風雨に晒され塗装は剥がれ落ち見るも無惨な姿であった。現在は撤去されている。
さて、13:58に仙台から到着予定であった折り返しの列車が少々遅れて到着した。E721系と701系の4両編成であった。
https://www.jreast.co.jp/train/local/701.html
https://www.jreast.co.jp/train/local/e721.html
14:04頃に原ノ町を発車した。残り1時間ほどの旅である。仙台へ向けて常磐線をひたすら北上する。鹿島、日立木、相馬、駒ヶ嶺と順に停車する。途中の相馬は特急ひたちも停車する。なお、相馬から原ノ町間は福島県浜通り地域で復旧が早かった区間である。
新地の手前でに左にカーブし新地駅に到着する。新地から浜吉田間は震災後線路を内陸へ付け替え復旧させている。震災前はこのまま直線で海沿いを走っていたが、大津波により新地、坂元、山下の3駅は路盤、駅舎共々被災している。地震発生当時、付近を走行していた常磐線の列車は車両ごと被災している。
平成28年冬、浜吉田から相馬間の運転再開に合わせて被災した3駅が内陸側に完成している。事実上、新駅が開業したと言ってもいい。そのため、線路設備や駅舎は新規路線並みであり、3駅を含む区間は高架で建設されている。将来的に東日本大震災クラスの災害発生に備えて対応である。坂元の先で福島県から宮城県に入る。
途中の山下で品川行の上り特急ひたち号との通過待ちのため少々停車した。やって来たひたち号はE657系ではあるが、車体がフレッシュひたちリバイバル色(ピンク)であった。実は上野から乗車した特急ひたち7号もフレッシュひたちリバイバルカラー(ブルー)であった。いわきでの乗継時間が短くその勇姿を収めることができなかったのは少々心残りである。
山下を発車すると、右に緩やかにカーブしながら浜吉田に到着する。カーブの終点が旧線との分かれ目にあたる。亘理、逢隈(おおくま)と停車していく。仙台が近づくにつれて、乗車率が上がってきた。阿武隈川の長い鉄橋を渡ると、左から東北本線と合流し岩沼に到着する。常磐線は日暮里を起点に岩沼までの343.7kmが該当する。ちなみにほぼ同じ区間を東北本線経由で移動すると334.2kmとなり、常磐線経由が距離の面では長くなる。一方で所要時間では常磐線経由5時間弱に対して、東北本線経由では6時間は超えるので所要時間では常磐線経由が優位に立つ。
岩沼から先は東北本線となる。原ノ町から先の列車はすべて東北本線に乗り入れて仙台へ直通する。車窓はローカルから徐々に都市郊外の風景へ変わりつつある。国道4号線と並走する。途中の館腰を発車すると右手から仙台空港アクセス線の高架線と合流すると名取に到着した。時刻は15:10、上野を出発してから5時間10分の旅はここで幕を閉じた。本来なら仙台まで乗り通したかったが、スケジュールの都合で名取で下車した。
上野⇔仙台(常磐線経由)時刻表
最後に今回乗車した乗り継ぎ行程も含めて、常磐線経由での乗り継ぎ表を作成した。特急ひたち号上下3本を含め下り7本、上り9本運行している。仙台発着の特急ひたち号3本を除き、いわきと原ノ町で普通列車への乗り継ぎが必要となる。