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旅情奪回 第12回:あこがれのパストラミサンド。
旅立ちに際して、想像を無限に膨らませたり、事前情報を仕入れたりするのはやはり楽しい。人間は、基本的に欲しいと思う情報を選択的に優先して収集するものだといわれる。それでも、情報収集の過程で、できれば知らなければよかった情報を目にしてしまい、急いで頭から締め出そうとするが、時すでに遅し…ということもままある。
これは中学生のことだったと記憶しているが、当時叔母が仕事の感性を磨くことと、少し働きすぎた自分への慰労もかねて、ふらっとニューヨークで暮らしていた。その叔母を訪ねて一か月ほど、ニューヨークにショートステイをすることになった。母と弟と三人、午前中は現地で語学学校に通い、午後はとにかく遊びまくる一か月。それぞれ現地で何を見、何をしたいかは違ったと思う。アメリカには、かつてブラジルへと旅立った際、飛行機の給油で停泊した時以来、本当の意味での旅行だ。
私は、当時勉学は本当にそっちのけで、とにかく授業中でもこっそり本を読んでいるような不真面目な生徒だったわけだが、わけても海外の詩と美術関連の本に熱を上げていた。ニューヨークのアートガイドの本は、図版や写真も多く、きっとどこかで立ち読みして、お小遣いで買ったのだと思うが、これを飽きるほど眺めては、かの地を訪れたならば、この写真と同じ美術館で、本物の作品が見られるのか、と想像したものだった。
ニューヨーク行きが近くなればなるほど、事前に入れておきたい情報の幅は広がった。いわゆる旅行情報誌なども読んだのだが、どの本で目にしたものか、これは失念してしまったが、どうやらニューヨークではおいしいパストラミサンドが食べられるという。パストラミ…いったい何のことか。調べてみると、スパイスの効いた肉の燻製だという。本には、牛の肩肉を使ったパストラミをはさんだボリュームたっぷりのサンドイッチが写真で載っていた。
パストラミサンド…有名レストランでもなければ、高級料理でもない。地元の人が日常の中で食べているサンドイッチ。これが食べたい!そう心に決めると、まだ食べてもいないのに、想像上の風味が頭いっぱい広がって、いてもたってもいられないのだった。
旅先での夜は、中学生にしては長い。まだまだ夜間の外出は控えてと言われた時代のニューヨークであったし、ナイトスポットを訪れるはずももちろんないが、いつもならひと風呂浴びているような時間にマンハッタンの通りを歩いている。あの夜は、もしかしたらブロードウェイでミュージカルでも観た帰りだったのかもしれない。ホテル住まいは、夜食が欲しくなる。そこでチャイニーズヌードルでも買って…という話になったが、結局はデリカテッセンに寄ることになった。そこでついに、あのパストラミに遭遇した。
「そうそう、デリでは、具にしたいものをアレ、コレ、と自分で指さして、好きなパンで挟んでいくら…って買い物していくのよ」。叔母がそう教えてくれた。
タイル貼りで、薄暗い蛍光灯だけがついた、総菜屋というよりは公衆浴場のシャワー室のようなデリカテッセンでは、仕事帰りか、ウチ飲みのお供を探しに来た客が短い、しかし列をなしている。小さなショーケースには、ハム、ソーセージ、レタスやオニオン、薄黄や橙のチーズやピクルスが所せましと並んでいる。パンもいろいろな種類があるが、場所柄、ベーグルなどそれまで見聞したことないようなものも並ぶ。客は次々と、指先を右に左に動かして注文し、店員は手際よくそれらを一つにしてうまいこと包んで、どんどん客に渡していく。私には、パストラミがどれか、よく分かっていた。何度も、想像の中で味わったパストラミだ。
不愛想に、早口な小声で「これか?」、「これもか?」と聞いてくる店員は、不要な具材を押し付けることもしないが、なんとも言えない圧力を宿している。気圧されることなく、お世辞にも達者とは言えなかった英語力でカスタマイズしたパストラミサンドは、いつか写真で見たとおりのボリュームで、夜食用の小腹にはオーバー気味に思えたように記憶している。ほつれた糸や布の切れ端のように、四角いパンの四辺からパストラミがはみ出す様は、なんとも不格好で不器用な姿形であったが、あの夜ホテルに帰って頬張ったそれの歯ごたえやひんやりとしてギシっとした肉の食感は、いうまでもなく事前の「想像上の風味」をはるかに超えていて、パストラミサンドなどちっとも珍しくなくなったいまとなっても、まだ忘れることができないのだ。(了)