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わがままな私とがんばっている利用者(給食編)
私は、食べ物の好き嫌いがたくさんあります。今は、調理員さんのおかげで毎日、おいしく食べることができています。今日は、わがままな私と、好き嫌いを克服しようとがんばっている女性のことを書きます。
私は、食べ物の好き嫌いがたくさんあります。どうしても食べたくない物は2品です。それ以外にできれば食べたくない物が数多く存在します。食べ物の好き嫌いは、福祉職にとって大きな大きな痛手です。
私の仕事は、福祉職です。障がいのある人が利用する事業所を経営です。以前は、直接支援の支援者でした。そこで、私は初めて就職をするとき、就職先の第一条件を給食のないところのにしました。
毎日泣いていた小学校の給食
まず私は、小学生のときに給食で苦労しました。給食時間が終わり、掃除の時間になっても給食から解放されることはなく、教室の片隅で給食をじーっと見つめていました。食べられない物はいつまでたっても食べられません。それでも残されて休み時間も給食を前にして座らされていました。最後は、すべてを水で飲み混んでいました。
さいわい、そのころの中学校は給食でなかったため、つらい給食生活は6年間で終了しました。
逃げられない実習先の給食
その後、私は福祉系の専門学校に進みました。次に訪れた試練は、福祉施設での実習でした。私が実習をさせていただいたところは児童施設で、食事については厳しく指導されていました。また、そのときは宿泊実習でした。私は、一日の実習時間が終わると、門限までの間に離れたコンビニに行き、食べ物を買っていました。そのとき、絶対に給食のあるところには就職をしないと決心しました。その後、本当に給食のないところに就職をしました。
また転職をした先の福祉事業所は、支援者が給食メニューを決めて、利用者と一緒に買物に行き、一緒に給食を作るシステムでした。そのため、自分の好きなメニューばかりを作ってていました。
わがままな私とがんばっている利用者
今は、栄養士が献立を作り食材がを届けられ、それを調理員さんが作ってくれます。毎日、おいしい給食を食べています。それも調理員さんが私の嫌いなものを知っていて上手にのぞいてくれるおかげです。それでもどうしても食べられない物があると、利用者の皆さんに食べてもらいます。
「すみませーん、誰か食べてくれませんか?」と、声をかけると喜んで食べてくれる利用者がいます。「髙橋さん、ありがとう、うれしい」なんて言われたら恐縮してしまいます。助かっているのは私です。
春になり、利用者のグループ替えがありました。今はコロナ禍で、密を避けるため、私が仕事をしている場所も食堂になっています。グループ替えにより、一緒に食事をする利用者が変わりました。その中に、食べ物の好き嫌いが多い女性がいます。毎日、作業室に貼られた献立表を見ながら一喜一憂しています。その姿を見ていると私の小学生時代を思い出し切なくなります。
もちろん、今の事業所で嫌いなものを無理に食べさせるようなことはしていません。その女性にも、残していいですよと声をかけます。しかし、その女性は「一口だけでも食べなさいって言われているから」とがんばって食べています。嫌いな物を食べ終わると「終わった、終わったー!」と言って、好きな物を食べ始めます。私には絶対にできない努力です。
私は、どんどんわがままになっていきます。好きな物ばかりを食べています。子どもたちからは「お父さん、老人ホームに入って苦労するよ」と言われています。