それだけの秋/あの頃に出会った曲の数々
この季節になると、思い出す曲があります。今から40年以上も前の曲です。また、知っている人の方が少ない曲です。当時、ラジオから流れてくるその曲をカセットテープに録音をして何度も聞いていました。その曲を、YouTubeで見つけて喜んでいます。
1980年に発表された清須那義さんの「それだけの秋」という曲です。CD化はされていません。このYouTubeの映像は、清須那義さんご本人が自分のスタジオで2014年に再録音したものです。YouTubeで見つけて喜んでいます。私は、秋になると自動的にこの曲が頭の中で流れ始めます。
深夜放送に夢中だったころ
この曲との出会いは、中学生のころに聞いていた深夜放送です。そのころの私は、深夜放送に夢中でした。部活には入らず、まっすぐに家に帰ると、とりあえず風呂に入りすぐに寝ました。その後、夕飯を食べて友達に録音をしてもらった昨日の深夜放送を聞きました。
当時は、3つのラジオ局が深夜放送でしのぎを削り盛り上がっていました。そのため、裏番組を友達に録音してもらい翌日にそれを聞いていました。そのころの深夜放送には名物コーナーがたくさんありました。私は、その中でも文化放送のセイヤングの「天才・秀才・バカ」や「暗い過去コーナー」が面白くて好きでした。ただし、イヤフォンなしでは聞けない話ばかりです。そこで大人の性を知りました。
深夜放送で流れていた曲
また、これらのコーナーの後ろで流れている曲が耳についてはなれなくなりました。「天才・秀才・バカ」のコーナーで流れていた曲はこの曲です。
また、「暗い過去コーナー」で流れていたのはこの曲です。
この「死刑台のエレベーター」は素敵なフランスの映画です。大人になってからレンタルで映画を観ました。電話で愛をささやく場面がおしゃれです。しかし、どんなにおしゃれな場面もこのテーマ曲が流れると、ラジオの「暗い過去コーナー」になってしまいます。きれいな男と女には戻れません。
深夜放送との別れ
当時は、お小遣いがあまりなかったので、音楽はすべて深夜放送からでした。深夜放送から流れる音楽をカセットテープに録音し、さらにそれを別のカセットテープに録音し編集して聞いていました。まだ、テレビのスターとラジオのスターがはっきり分かれていた時代です。
しかしやがて、ラジオのスターがテレビに出るようになり、テレビでアイドルと呼ばれる人たちがラジオに進出して来ました。そのころから私は、深夜放送を聞かなくなりました。私たち聴視者が、ただ面白ければそれでいい、そんな流れ選択してしまった結果です。
1982年07月、伝説的な深夜放送が終わりました。通称「金パ」と呼ばれた野沢那智さんと白石冬美さんの深夜放送です。その終了が、私と深夜放送の別れになりました。
深夜放送で「大人」を知りました
私は、深夜放送で読まれるハガキに「大人」を感じていました。いろいろな生き方をしている人がいることを知りました。学校の先生に言われても納得できないことも深夜放送のパーソナリティに言われるとしっくりすることがたくさんありました。
どんなにバカなネタでも、エッチな話でも、深夜放送で最後に読まれるハガキは、しんみりくるハガキがほとんでした。そこには「命」や「国」、「人」について考えさせられるようなハガキもありました。野沢那智さんが毎回最後に読むハガキが心に沁みました。その番組のエンディングで流れるのが「シバの女王」でした。
一日の終わりを静かに終える、そんな一曲です。
連続投稿1000日まで、あと13日。
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