4.人間失格
皆様いかがお過ごしでしょうか。おしるこです。
最近投稿に「スキ」をいくつか頂きまして....。
自分が書いたものが誰かの目に触れるって、こんなにドキドキに包まれるんやなぁと、感じております。
こんなちまちまへぼへぼノートにハートを押して頂きありがとうございます。
今回は私の大好きな太宰治先生の代表作、「人間失格」についての読書記録です。
太宰先生の作品はどれもキャラクターの中に先生の自己投影のようなものを感じることが多いのですが、中でもこの作品は太宰先生の人生と並行した物語のような印象を受けました。
太宰先生の描く「人間失格」とは、現代ではありふれた「社会不適合者」のことなのでしょう。
世間一般 の枠からはみ出たところで主人公が懸命にもがく姿は、今の時代では馴染みのない光景のようにも思われました。
「どうせ自分は出来損ないで社会のお荷物なのだから、それ相応の生き方でいいや。」といったある種の"悟り"が正当化され、ありのままの自分を受け入れたとして評価されるのが今の時代の多様性です。
ただただ「人間になりたい」ともがき続けた太宰先生と彼の作り上げた人物たちは、現代から言ってしまえば悪あがきなのでしょう。
太宰治は天性の作家だという話はよくあがりますが、太宰先生は人として欠落していたからこそ物語が書け、人となるためにもがき続けていたからこそ作品は多くの人に衝撃を与えたのではないでしょうか。これからどれだけ長い歴史が続こうと、太宰治以上に人間の失格した姿を物語にできる人は現れないと考えます。
人として未完成な部分を懸命に埋めようともがき続けたことこそが、天から与えられた才能なのでしょうね。
と、都合のいい解釈と個人的な太宰治論を展開して気持ちよくなって締めたいと思います。
人となりきれない部分にこそ自分の独自性は眠っていると信じて、今日もギリギリで生きていたいと思います。
まだまだ暑い日々が続きます。皆様ご自愛ください。
文献 - 「人間失格 」 太宰治(新潮文庫)