「和賀英良」獄中からの手紙(5) ピアノ、作曲、衆道と男色
―なぜ作曲家になったのか―
今西栄太郎様
季節も移ろいもう秋風が吹く時期となりました。
またこうしてお手紙をしたためるのも私の喜びとなっております。お返事いただけないことを残念に思っているわけではございません。読んでいただいているお姿を想像しながら書いております。刑務所の生活は退屈で、音楽を聴くということもなく、毎日の刑務作業以外の楽しみといえば、腹を満たすための食事とこのような手紙を書くことだけかもしれません。
さて先日ですが、受刑者からの情報で、この事件を題材とした映画が公開されたと知りました。世間ではセンセーショナルな事件として取り上げられ、また政財界とも関係があった私のやったことは、新聞や雑誌などの標的になるのは仕方ないことかと思います。しかしながら映画になるとは、まったく想像しておりませんでした。
聞くところによると映画の中で私が壮大なシンフォニーを作曲し、大勢の聴衆の前でピアノを演奏する場面があるとのこと。まったくもって驚きました。そして笑ってしまいました。私は実はほとんどピアノは弾けませんし、もちろん職業ピアニストではありません。
流浪の生活のなかでピアノなど演奏できるわけがないことは容易に想像できるかと思います。しかしながら、自分は東京藝術大学音楽学部の烏丸孝蔦先生に作曲を個人的に師事しておりました。なぜそんなことができたのか、すこしばかりご説明いたします。
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まず知っていただきたいことは、私の専門は現代音楽の作曲であり、それにはピアノの演奏能力とほとんど関係がないということです。現代音楽はミュージックコンクレートとも呼ばれ、オーケストラ楽器をはじめ、あらゆる楽器音を素材として使います。
無調の実験音楽、あるいは打楽器だけのアンサンブル、雑音や日常生活の騒音まで、ありとあらゆる音を楽音として利用し、聴く人の感性に訴える先端的な芸術を目指します。
これにはテープレコーダーの録音や編集、はたまた音波の発信、つまり人工的なノイズも素材として使います。
こういった新しい音楽の手法は、従来の楽器演奏に必要な長年にわたる修練を必要としていません。ですから私のようなピアノが本格的に弾けない作曲家でも問題はないわけでして、斬新なアイディアや芸術的なコンセプトが最も重要となります。
私の場合は、他のお手紙でも記したように放浪中の極限状態の中で起こった「自動書記」いわゆる「お筆先」がその原点となっていって、一般では読めない文字のような物や図形などが、音楽の譜面となっていったのです。
また薫陶を受けた藝大の烏丸先生は当時文部省の審議官だった田所重喜氏とも懇意で、田所氏はその後に政治家へと転身し、大蔵大臣となったことはよく知られています。
田所氏ですが自分は芸術方面には疎いが、一人娘の佐知子が芸大の美術学部、彫刻専攻に進んだことをたいへん自慢に思っていたようです。
また娘が芸大在学中、音楽学部の教授に昇進した烏丸教授と田所氏は旧知の間柄で、教授を通じてヌーボーグループへ接近し、資金援助をはじめ娘の創作活動の力になれるよう裏から便宜を図っていました。
烏丸先生は郷里の鹿児島から上京後に世田谷にある田所邸に下宿していたそうで、そういった流れで田所佐知子との関係も烏丸先生の紹介であったことを認めます。
この「認めます」という文言ですが、実は私と烏丸教授は衆道であり「義兄弟」ともいえる男色、ホモセクシャルの深い関係でした。ようするに同性の恋人だったのです。
烏丸教授が打楽器科教授の退任パーティーで私に佐知子を紹介したとき、彼女は美術学部の学生さんだ、という単なる儀礼的なものだけでした。それが後々に大きな問題になる、つまり事件の発端につながっていくとは知らずに、ということになります。
長々と自分のことばかり語ってしまいました、
誠に失礼いたしました。
第6話: https://note.com/ryohei_imanishi/n/nf3d9524ee77b
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