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中国の民衆と生きたアメリカ人-アイダ・プルーイットの生涯-

今回は、山口守『中国の民衆と生きたアメリカ人-アイダ・プルーイットの生涯-』(岩波書店 2023)を独断と偏見でまとめます。

一元的に語ることができない国家と社会と人々

今日、世界の覇権を争うアメリカと中国。
米中合わせて、全世界の人口のおよそ2割を占める両国では、無数の価値観を持った多様な人々が暮らしています。
それを「アメリカはこうだ」「中国はこうだ」と国家を枠組みに単純化してしまうと、私たちは誤った視点で物事を判断してしまう危険性があります。

そこで、国家という全体的な事象ではなく、個別の人間に焦点を当てて、ミクロの視点でアメリカと中国を捉えようとしたのが著者の山口守氏です。

氏は、本書で19世紀末に山東省の農村部でアメリカ宣教師の娘として生まれたアイダ・プルーイット(1888-1985)の生涯に注目します。

彼女は、中国の農村で生まれ育ち、晩年期にアメリカでの生活を経て、中国の社会福祉事業を支援するソーシャルワーカーとして活躍しました。

アメリカ人でありながらも、中国の農村部で生まれ育ったアイダ・プルーイット氏は、
中国の文化や民衆の生活を間近で感じ取ります。
そして、のちに日清戦争、義和団事件、抗日運動、アメリカへの帰国、国共内戦、戦後の米中対立など様々な出来事を経て、彼女の物の見方、自己は形成されていきます。

彼女は、中国のリアルである民衆の生活、アメリカでの生活、またはアメリカ人として外界から中国を見る事で、バイカルチャルな視点を持ちます。
それは、複雑な国家、文化、人間理解を二項対立から一つを選択するというような立つ場ではなく、複数の異なったものから双方の利点を取り入れ、双方の欠点を排除しながら、自己決定していくというものです。

さらに、アイダ・プルーイット氏は子供時代から一貫して、物事を行うには常に複数の方法があるのは当然であり、複数の人がいれば、複数の考えがあるはずだと考えていました。

そんな彼女だからこそ、一つの基準からしか物事を考えない父の職業であった宣教師にさえも疑問を持ちます。

また、義和団事件時の民衆の反発と愛国心に同情を抱き、
民主主義を脅かす日本軍の中国への軍事侵攻や腐敗政治にも強い嫌悪感を示しました。

実際に、当時の中国で生活をしたアメリカ人の彼女だからこそ、民衆の生活、意向、自主性が無視される政治政策や、国家やイデオロギーに囚われる考え方に強い抵抗感をありました。

それゆえに、アイダ・プルーイット氏は、自分と他者を一つの国家や文化、価値観の枠組みで判断するのではなく、様々な考えを考慮した上で、関係を構築できるように模索し続けました。

山口氏は、上記の内容を踏まえて、アイダ・プルーイットが考える自分と他者との関係を次のようにまとめます。

まず、他者とは自分以外のすべての人間であり、同時に自分の内部にも他者が存在することを忘れてはいけない。
自分とは均質な一個の自己ではなく、揺れ動く主体性が常時形成する可塑的な存在であるからだ。(本書P304)

上で見たように
物事を複合的に捉え、国家という枠組みを超えて自己と他者を捉える考え方は、現在では、普遍的な価値観として根付いていますが、
当時の帝国主義や、軍国主義、全体主義、世界大戦時の中では、稀だったと思います。
そのように考えると、アイダ・プルーイット氏は非常に勇敢な女性だったと思います。

まとめ

今回は、山口守『中国の民衆と生きたアメリカ人-アイダ・プルーイットの生涯-』(岩波書店 2023)を独断と偏見でまとめました。

著者が本文で指摘している通り、アイダ・プルーイットはあくまでも「自分の中の中国、自分が生きた中国」に焦点を当てているため、戦後の共産党独裁についての記述が少ないです。その点を少し気になりました。

ところで、アイダ・プルーイット氏の物事の捉え方には、
グローバル化と共に分断や軋轢が生じた現代社会の私たちにヒントを与えてくれるのではないかなと思います。

私を含め、人間は物事を単純化して捉える傾向にあります。私たちは、一元的な答えを好んで受け取ってしまいます。また例外的な事例を一般化して判断してしまうこともあります。

だからこそ政治思想にしろ、歴史認識にしろ、人間関係にしろ、日常生活にしろ、データやグラフ、本や資料にしろ、一歩視点を引いて客観的、複合的に判断する必要があると思います。

私もそういった人間になりたいなと思います。
一方で難しいのが、中立という立場です。
中立は一見、是々非々であるかのようですが、意見がない、十分考えていないことだとも言えます。

だからこそ、物事を複合的に捉えたうえで、自分の意見や信念を持てるような人物になりたいなと思います。



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