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№1 お困りですか順子さん ~阿吽~

僕の妻の順子さんは、「多系統萎縮症(MSA)」という原因不明の難病に罹患しています。

順子さんの病気(多系統萎縮症)は、回復の見込みのない病です。たくさんの困ったことが順子さんの身体に襲い掛かるわけですが、その中のひとつに「構音障害」というやっかいな症状があります。

「失語」という病があります。文字のとおり言葉を発することが部分的に、あるいは完全にできなくなることで、患者本人に言葉があっても発語できない場合や、脳の損傷で言葉そのものを失う場合があるそうです。

言葉を作る(発話)とは、僕がおもう以上に複雑なことのようです。歯とか、唇とか、舌とか、口、声帯といったものが、上手に互いの筋肉を制御して協調させて、脳から指令を必要な情報に変えて伝え、言葉が生まれます。

発話とは、「おもってもないこと」を話す場合でも、「おもいつめたこと」を話す場合でも機能的にはほぼ同じことで、結構複雑で神秘的なことなのです。

この発話機能の障害を「構音障害」といいます。発話するために構成する器官(歯、口、舌、唇。声帯、呼吸器など)の運動機能が低下して、ろれつが回らない、聞き取りずらい言葉しかしゃべれなくなる症状です。

「ま~りちゃ・・・(意味不明)・・・・。あす・・・んの・・・・・・・。ひなた・・・・・・だって。」

とは、今日の順子さんです。僕はもちろん妻の順子さんの言葉を、いちばん理解できると自負していますが、会話するには、会話の流れ、順子さんの今の状況や心情を推察して、それに加えて、順子さんの性格や嗜好までも考慮に入れて、何をいっているのかを考える必要があります。

「祭り?」 順子さん、首をふる。
病院のテレビでは、歌番組を放送している。
もしかして、「まつりちゃん」「あすみ」
ということは、安住さんとまつりちゃん。

「朝のニュース番組の「THE TIME」に出ているまつりちゃん(松田里奈)は『日向坂46』だって」(正しくは『櫻坂46』)

と理解し、

僕は、普通に「アイドルはわからん。まつりちゃんは知っているけど、グループはしらん。」

と答えます。

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「猫の集会」を知っていますか。昔住んでいた街での出来事です。家の近くの駐車場が猫の集会所になっていて、野良猫たちが深夜そぞろ集まってきます。十数匹はいたでしょうか。鳴き声をあげるわけでもなく、ただそれぞれが、適当な間隔の間で座っている。よく見ると、座る間隔の近い猫と、遠い猫がいるので、近親関係とか、夫婦だとか、そんなことがあるのかもしれない。でも、「猫の集会」には宮沢賢治『猫の事務所』のような序列も権威もいじめもないようでした。

そのとき想像したのが、猫の集会場の上には、目に見えないクラウドがあって、猫たちはそのクラウドと見えない高速回線でつながっている。猫たちは、そのネットワークを通じて世間話をしている。
「あそこのばあさんはやさしくて、必ず飯をくれる」
「災害時は神社の軒下に集合」
「猫は哲学してはいけないと、だれが決めた」
「病は気からとかいうけど、おれの心根のどこが悪い」
「四つ角の家の3兄弟は、猫をみると石をなげる」
とか。

夫婦の関係も、たまに「猫の集会」のようだとおもう。夜になると集まり、何もしゃべらずただ同じ空間にいることがある。「空気のようだ」ともおもう。「何を話さなくともわかる」ときもある。神社の狛犬のように向かい合い、互いに、「阿」「吽」と口を開けているようにも想像する。そう、「阿吽の呼吸」というが、はたしてそんなものが夫婦にあるのだろうか。

でもいま、順子さんに「構音障害」という症状があり、何を言っているかわからないとき、僕はむなしさと憤りにあふれることがある。一度「わからない」と言われたら、言葉をいいかえろ、ゆっくり丁寧にはなせ、ことばを区切ってはなせ。と、順子さんに求めるけど僕の提案は無視、順子さんはわからない言葉を話し続ける。

これでは、順子さんと僕の間には、「猫の集会」で想像した仮想クラウドも、阿吽の呼吸もない。

僕は順子さんの病気をよく理解しているつもりでいる。でも、「構音障害」がもたらすコミュニケーションの谷間を埋めることはむずかしい。ただ、猫のように、何もしゃべらずとも同じ空間にいることだけでいい。と、おもいたい。

順子さんは、2024年7月1日に入院しました。今回は、胃瘻(いろう)を造るための入院です。胃瘻(いろう)とは、おなかに穴を開けて、直接胃に食べ物を流し込む方法で、そのための器具を「胃瘻カテーテル」と呼びます。内視鏡を使用して胃瘻を造るPEG(ペグ:Percutaneous Endoscopic Gastrostomy:経皮内視鏡的胃瘻造設術)を7月4日に行いました。順子さんのおなかには、プラスチックの小さなボタンのような蓋がつきました。胃瘻(いろう)のはなしは、のちの記事に譲ります。

毎日、面会時間に病院に向かいます。コロナ以降、面会の制限は続いています。
面会時間はおよそ15分。面会者は家族・キーマンで2・3名。

15分はわずかで、多少の長居に目くじらを立てる看護師もいません。それでも、他の入院患者の手前もあり、小一時間もすれば帰ることになります。

僕が時計を見るたび、順子さんは「いやだ」と子どものように、帰らないでと言います。
僕が「じゃ、また明日。」といえば、「いやだ」「いやだ」を繰り返します。

まるで、幼子のようなしぐさなのですが、早く退院して家に帰りたい気持ちはよくわかります。もうしばらくの辛抱なのですが、食事や待遇にうんざりしているのも伝わります。順子さんがダダをこね、甘えるしぐさも、それをみても「じゃ」とすまして帰る僕も、すべて阿吽の呼吸なのでしょう。


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