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「なぜ」の質問・「なぜ」の説明

今回はめずらしく、ちょっとだけ仕事寄りの話をします。

ふた月ほど前、傾聴ボランティア養成講座というものを受講しました。
私のふだんの主な仕事は、人の話を聞いて文章を書くこと。そのスキルを生かして、高齢者福祉の分野で多少社会貢献的な活動ができたら、と考えたのが受講理由です(実際にお話を聴く相手は高齢の方ばかりとは限らないようですが)。

で、3日間の講習を終えてわかりました。

傾聴とインタビュー取材の共通点は、「相手の話を全身全霊で聴くこと」。

同じなのはここまででした。

私が特にハッとしたのは、傾聴では「なぜ」の質問がご法度だということです。「なぜ」の質問こそ肝心なインタビュー取材とは対象的です。

もちろん傾聴中も、話の続きを促したり、話の前後を確認したりするため質問をすることはあります。でも、「なぜそうなのか」「なぜそう思ったのか」などの質問はしてはいけないといいます。一歩間違えると、相手はまるで問い詰められたように感じてしまいかねないからでしょう。

傾聴の目的はあくまでも、話し手が胸の内を表に出して楽になるお手伝いをすること。だから、聴き手は質問を最小限にとどめ、後はひたすら耳を傾けて相手の気持ちに寄り添うのがその役目となるのですね。

翻って、インタビュー取材の第一目的は、聴き手の私が記事を書くために必要な話を引き出すことです。聴いた内容を読者にわかるよう理論的に再構築しなければならないし、記事に厚みを持たせるためできるだけ多様なエピソードも引き出したい。事前に相手のことを調べて用意した質問だけでなく、相手の反応に合わせてアドリブで適切な問いを立てる力が試されます。

なかでも「なぜその選択をしたのか」「なぜその行動をとったか」などの「Why」質問と、「そのときどう感じたか」「どうやってそれを可能にしたか」などの「How」質問をタイミングよく発することができるかどうか。これが記事の出来を左右するように思います。

実は、取材に限らず、どんな仕事でもいちばん大事なのは「なぜ」を問うことではないかと、私は常々感じています。裏を返せば、仕事を依頼するほうはできる限り「なぜ」を説明することが大事ではないかと。それが欠落しているために、双方に無駄な「迷い」の時間が発生している事例をたくさん見てきました。

たとえば何かの数字をエクセルシートに入力するような単純なタスクでも、なぜその数字を収集するのか、集計したものをどんな目的でどう使うのかきちんと説明されていれば、頼まれた人は、多少イレギュラーな事象が発生しても、いちいち指示を仰ぐことなく、目的に照らして入力が必要かどうか判断できるはずです。あるいは、エクセル入力よりもっと効率的なデータ集計方法を提案してくれるかもしれません。

「なぜ」の質問が仕事の中身を濃くし、「なぜ」の説明のひと手間がトータルで見た仕事の効率を向上させる。これが私の持論です。

といっても、それはあくまでもより良いアウトプットが求められる仕事の世界の話。たとえば、私がデビューを目指す傾聴ボランティアには求められるアウトプット自体が存在しません。

そういう世界もあるのだということ、そしてそこでは必然的に「なぜ」を知る優先順位も異なるのだということを、ふた月前の講座で初めて学んだkanrekishoujoでありました。

夏山シーズン@福島


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