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昭和のテレビ

昭和40年代前半、私が物心ついたとき我が家にはすでにカラーテレビがあったと記憶する。冷蔵庫、洗濯機とともに白黒テレビが三種の神器として一般家庭に普及し始めたのが昭和30年代(1950年代後半)だったらしいが、我が家では白黒からカラーへの買い替えはわりと早いほうだったのではないか。それはもちろんブラウン管式で、かなり奥行きがあり、観音開きの扉がついた木製の箱みたいのに入って茶の間の隅に斜めに置かれていた。

その茶の間には真四角の掘りごたつがあって、縁側が見える辺にはいつも祖母が座っていた。私もそのとなりに座って、魔法使いサリーちゃん、ひみつのアッコちゃん、魔法のマコちゃん(いま調べたらこれを東映魔女っ子シリーズというそうだ)なんか見ていたのを思い出す。

実写モノでは仮面の忍者赤影が大好きだった。ほかにもマジンガーZ、ミラーマン、月光仮面、仮面ライダー。ウルトラマンシリーズではセブンがいちばん好きだった。アクションものは文字通り画面に引き寄せられ、気がつけばテレビの目の前に口を開けて座っていたので、近すぎて目が悪くなると言ってよく怒られた。いまのスマホ画面よりはずいぶん距離があったと思うのだが。

それでもやっぱり小学生のうちに私の視力はどんどん落ちていった。テレビもさることながら、本が好きだったので、放っておくと暗くなったのも気づかず本を読んでいたらしい。あるときは父に強制的に本をとりあげられ、外へ出て日光浴しろと言われたのを覚えている。

小学校のうちは塾に行った記憶はないし、近所の子たちと外で遊んだ記憶もほとんどない。夕方に学校から帰ってきたら宿題をやる以外、テレビを見るか本を読むかの二択だったのだろう。いまは子どもがスマホをやりすぎないよう親がアプリの利用を制限できたりするが、当時はテレビの見過ぎも本の読み過ぎも防ぐ手段は基本的になかったわけだ。

もっともテレビに夢中なのは子どもだけでなく大人も同じようなものだったはず。当時は家で娯楽といえばテレビで、1960~70年代には視聴率50%超えがたくさんあった。(ビデオリサーチ:全局高世帯視聴率番組50

みんなが同じものを見て喜んでいた時代。高度成長、いざなぎ景気、まだ日本の出生率が2を上回り、毎年200万人近いベビーが生まれていた時代。大量生産大量消費の時代。それでも、当時の日本の電力消費量は今より少なかったのである。(電気事業連合会:日本の電力消費

この空は自動車ディーラーさんの駐車場にて。梅雨の晴れ間、雲がかわいくて。

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