どうにもならないことを問題としてこだわり続けると。直江兼続の逸話
こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。
今回は誰の逸話を取り上げようかと考えたときに、ふと、そういえば私のアイコンが身に着けている「愛」の兜が印象的な武将がまだだったじゃないかということで直江兼続です。
大河ドラマ「天地人」の主人公として取り上げられた武将ですが、越後の上杉謙信の後継者となった上杉景勝を支え、秀吉や家康からも一目置かれたNo.2として知られています。
そんな兼続が閻魔大王へメッセージを送るという、ちょっと変わった逸話が知られているので、取り上げてみようと思います。
越後の上杉景勝が会津に国替えになるとき、家臣の三宝寺勝蔵という者が下人を成敗した。ただ、その罪は斬るほどのことでもなかったため、怒った下人の身内が、死者を生き返らせろと申し出てきた。
これを聞いた家老の直江兼続は銀二十枚を与えてこう諭した。
「これで堪忍してもらえないか。この金銭で弔ってほしい」
しかし、下人の身内は承諾せず、
「死者を生き返らせてください」
といって全く聞かなかった。
「死んでしまったものは、今さらどうしようもないではないか」
と繰り返したが、下人の身内はいっこうに聞き入れなかった。
そこで、兼続は、
「そうか、ならば仕方ない。では、冥土に行って呼び戻してくるしかないな。大儀であるが、兄と伯父と甥の三人に閻魔の庁まで出迎えに行ってもらおうか」
と言って、三人を斬罪にし、高札を立て、閻魔大王宛てに次のような書き付けを掲げた。
いまだ貴意を得ませんが、一筆啓上致します。
三宝寺勝蔵の家臣が不慮の事で相果てました。
親類の者たちが嘆いて、呼び戻してほしいとのことです。
死者をお返し下さいますようにお願い申し上げます。
恐々謹言
慶長二年二月七日 直江山城守兼続
閻魔大王様
この逸話は家臣の名前や年月日が違うパターンで書かれたものがあるようですので、あくまで"逸話"としてとらえたほうがいい話のようです。
上杉家は秀吉の命で越後から会津へ国替えとなります。当然、新しい領主と領民の間には摩擦が起きるものだと思います。その頃の話と考えると、兼続というか上杉から領民へのメッセージとして、この逸話が伝わったのではないのかなと想像できます。
クレームを言ってきたからといって殺すことはないじゃないかと現代の感覚では思うのですが、武士の時代であればこのパフォーマンスも痛快な逸話という捉えられ方だったのかもしれないですね。
私はこの逸話を読んで、領主としての話とはまた違うことを考えました。下人の身内は感情的になっていたのかもしれませんが、死者を生き返らせるという、できもしないことを問題としていました。
自分では(兼続でさえでもあるのですが)どうしようもないことを問題として、いつまでもこだわった結果がこの逸話のような結末を迎えたわけです。
死者を呼び戻すではないですが、世の中がどうの景気がどうの他人がどうのと、自分ではどうにもならないことを問題としてこだわり続けていないだろうかと。
そこに気づかずにいると、いずれ閻魔大王のもとに死者を出迎えにいくはめになってしまうのでしょうね。