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同じ本を2冊買ってしまったことから目に付いた朝倉宗滴の言葉
こんにちは、両兵衛です。
私たちの視点を変えるきっかけとなる戦国逸話を取り上げています。
先日、古本でしたが『家訓で読む戦国』という本を見つけました。
「麒麟が来る」「軍師官兵衛」など数多くの大河ドラマ時代考証をされている小和田哲男先生の本です。
おもしろそうだなと私の興味を引くタイトルだったので買ってみました。
パラパラと読んでみると、あれ?なんだか知ってる内容ばかり。
もちろんいろいろ関連本を読んでいると同じ内容が載っていることもあるのでどこかで読んだ内容があることはよくあることです。
ただそれにしても知ってる内容が続くなと思ったので、もしやと自分の本棚を探してみました。
やらかしてしまいました。
『家訓で読む戦国』は、数年前から帯付きの新品で購入したものが本棚に並んでいました。
そりゃ知ってる内容ばかりなわけです。
せっかくなので、今回はその本棚にあった方の帯に書かれていた言葉を取り上げてみます。
「名将とは いちど大敗北を喫した者をいう」
朝倉宗滴
朝倉宗滴というのは越前を治めた朝倉氏の家臣として3代の当主を補佐し、79歳で亡くなる直前まで各地を転戦して武名を轟かせた武将です。
もとは「朝倉宗滴話記」に出てくるこの言葉です。
功者の大将と申は、一度大事の後に合たるを申す可く候。
我々は一世の間、勝合戦ばかりにて、終におくれに合はず候間、年寄候へども、功者にては有間敷候事。
名将というのは、一度大敗北を経験した者をいう。
自分は勝ち戦ばかりで敗北を経験しなかったので年はとったけれど名将になれなかった。
と言っています。
普通は合戦で不敗であるなら名将と言っていいと思うのですが、宗滴は敗北から学んで成長した者こそ名将だといいたいのでしょう。
大敗北を経験して学んだ武将として思い浮かぶのは徳川家康です。
三方ヶ原の戦いで、こちらも名将と謳われる武田信玄を相手に大敗北を喫しています。
家康は信玄から学び、後には武田氏の遺臣を召し抱えるほどだったといいます。
武田信玄もまた上田原の戦いや「砥石崩れ」といわれる砥石城の戦いで敗北を喫し多くの重臣を失いました。
元々は勝ち続けた信玄もこのような敗北の経験から前回取り上げた「信玄の七分勝ち」、60点、70点取ることが本当の意味で100点の勝ちという考えに至ったのではないでしょうか。
逆に考えると、立ち直れないほどの失敗、0点ではいけないということにもなります。
失敗したとしても30点は取る努力は必要ということですね。
討ち死にするほどの大敗北は、宗滴のいう名将の条件に入らないでしょうから。
負けを恐れず行動することは必要だけど、負けすぎないこともまた必要なことですね。
同じ本を2冊買ってしまう小さな失敗からはじまり随分大きな話になってしまいました…。