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「そんなふうに見えないように必死なんだよ」

以前書いた記事のように、絶賛「毎月1冊以上本を読む」をスタートさせている。

何を読んでいるかは、また読み終わった後にぜひ共有させていただければと思うが、途中段階で今読んでいる本の中で自分の中にパンチラインとして残っているフレーズを紹介したい。

それが、タイトルにもあるように、

「そんなふうに見えないように必死なんだよ」

というフレーズだ。

みんなそれぞれコンプレックスというものがある。わからない、もしかしたらない人もいるかもしれない。だけど大抵みんな何かしら持っているんじゃないかな、と思う。

それって周りから見れば「そんなの全然コンプレックスに感じなくてもいいのに!」というものも多い。だけど当事者としてはコンプレックスに感じるわけで。それというのは、普段何気なく会話している中で言われた言葉だったりが影響している。他の人だったらスルーするものが、強く残ってしまう。結局何より自分自身が意識しているからかもしれない。

よくあるされているやり取りがこちら。

A「大学はどこ出られているんですか?」
B「大学行っていなくて高卒なんです」
A「そんなふうに見えないですね!」

最近は学歴で人を見る、という文化が少しずつなくなっていると耳にするが、それでもまだ根強く残る気もする。それに対して「気にしない」という選択肢もあるが、やっぱり気になっちゃうのが人間の性で。そういうのがコンプレックスになっていく。

だからそれを克服するために必死に知識をつけたりする。その結果「そんなふうに見えないですね」と言われる。そんな時、心で思う。

「そんなふうに見えないように必死なの」

と。

ここまでは例だったけど少し私の話をしよう。

私は小さい頃に両親が離婚して、ほぼほぼ祖父母に育ててもらったといっても過言ではない。そんな私にとって「家族」の話は結構コンプレックスだった。家族が嫌なわけじゃない。大好きだ。

でもだからこそ、どうやって相手に説明すればいいかわからない。「かわいそう」と思われるのが嫌だった。だからいろんなことを頑張った。勉強も部活も学校生活も。もちろんそれらも祖父母をはじめ、家族の支えがあって出来たことだが。

だから面接の時だったり初めてあった人に時々言っていただける、

「よく真っすぐ育ちましたね」

とか、

「よくグレなかったね」

というフレーズに対しては、「そんなふうに見えないように必死だった」としか言えない。

これは別に妬みでも皮肉でもなんでもなく、ただただそういう生き方をしてきた自分を誇りに思っているに過ぎないし、これからもそうやって生きていくことへの覚悟だと自分に言い聞かせている。

でもこれって自分だけじゃないはず。
みんな立場や状況は違えど、それぞれが自分が抱えているコンプレックスに対して「そう見られないように必死に」戦っているんだと思う。

だからみんな偉いよね。




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塩浦良太
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