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素直に言葉を受け取ってみる

子供から大人になる過程での自分の変化っていくつかある。

もちろん見た目的な変化もそうだし、
内面的な変化もそう。

その1つとしてあるのが、
「素直に言葉を受け取ってみる」ということ。

文字面だけ見るとむしろ子供の頃の方が「大人」で、大人になった今の方が「子供」みたいだが(笑)


「〇〇さん、頭いいですね~!」
「カッコいいですね!/かわいいですね!」
「頼りになりますね!」

ここで挙げたのはあくまで一例だが、人は誰かに褒めてもらえることがある。そんな時、あなたはどう返答するだろうか?

「そんなことないですよ~」
「自分よりすごい人なんていっぱいいます」
「たまたまです」

日本人はどこか謙虚であることが美徳とされているような風潮がある気がする。だから上記のような言葉を言ってお茶を濁す。

子供の頃の自分は特にそうだった。

ほんとに「そんなことないですよ~」と思っているという側面もあるし、変に言葉の背景だったり行間を考えてしまう。

「なんでこの人はこんなこと言ってくれてるんだろう」
「ほんとにそう思ってるのかな」

変に考えすぎてしまってかえって疲れてしまう。本当はどんな真意があって言ったかなんて、いくら自分が頭で考えても答えなんて出てくるものじゃないのに。褒められなれていない。

そこから大人になる過程で自分と向き合う習慣が出来た。
そこで考えるようになって、「結構生きづらい生き方をしていたな」って思った。

自分で自分の人生を生きづらくしてるんだ。

そこから「いいや、もっと言葉を素直に受け取ってみよ」と思うようになった。

確かに謙虚であることはスマートだ。
決して慢心せず、勘違いせず、地に足をつける意識は忘れちゃいけない。でも、だからといってせっかくの褒め言葉なのに、それで自分が苦しむのってすごくもったいない気がする。それに言った側からしても、本当に褒めたつもりで言ったのに、それを斜めに受け止められてしまうってなんかモヤモヤするはず。キャッチボールとして成立していない。

わかる。
確かに、「お世辞で言っただけなのにめっちゃ喜んでるやん」みたいに思われるのは恥ずかしいかもしれない。でもそんなの相手に確認しない限り、自分の解釈にすぎない。裏を返せば、自分の解釈次第で言葉っていかようにも受け取れる。

ちょっと暴論を言ってしまえば、上記(「お世辞で言っただけなのにめっちゃ喜んでるやん」)みたいに思う相手とは、深い関係を持たなきゃいいだけの話だ。

素直に褒めてくれる相手とそれを素直に受け取る自分。
逆パターンもしかり。
そんなの最高の空間すぎる。


だから大人になって私は素直に言葉を受け取るようにし始めた。

何か褒められたら「ありがとうございます!」と最初に言う。
もちろんこれで終わってもいいんだけど、それでもやっぱり元々の本質的な部分があるから、「でもまだまだです」とか「みんなのおかげです」みたいな多少の謙虚は入る。

でもむしろこれは自分のいい部分だなって思っていて。

謙虚さが1ミリもない自分は自分じゃない(自称)

その謙虚さの前に「ありがとうございます!」の受け取り1つがあるかないかだけで一気に変わると思う。


結局人生を生きづらくしてるのは自分自身なんだ。
だけどつまりこれは、生きやすくするのも自分自身だというわけで。


どんどん素直に言葉を受け取っていきたい。

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塩浦良太
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