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言わない美徳と言う覚悟

言わない美徳ってあると思う。

何なら大人になるということの1つは、
「言わなくてもいいことは言わない」だと思っている。

人間、多くの人は常に聖人君主ではいられないんじゃないか、と思っている。少なくとも自分には、感情の波がある。

そんな強く意識はしてないけど、やっぱりどこかで自分が大切だと思うし、自分がかわいいと感じることはあるものではないだろうか。だから、自分の思い通りにいかないことに触れたりすると、

「ん?」

と思うことがあるケースもあるんじゃないか。


子供の頃って、そうやって感じたことをすぐ表現することが多かったと思う。いい感情も悪い感情も。それが言葉で示すこともあれば、態度で示すこともあって。

要は、「自分はこんなこと思ってますよ。だから改善してください」というアラートみたいなものだ。でも言ってしまえば、それって「自分中心」のものであって。言われた相手は、素直に受け取ってくれる人もいるだろうけど、やっぱり気分的にいいものではない。

そして何ならわざわざ言わなくていいことも、世の中にはいっぱいある。大人になることの要素の1つは、そういった「言わなくてもいいことを言わない」ことだと思っている。


ここで陥りがちなのは、「じゃあ自分が感じたことは言わずに我慢すればいいのか」という話で。それは二項対立すぎる考え方だ。

「言うべきことはちゃんと言う」というのも大事な大人の要素の1つだと思う。ここの線引きって難しくて、まだ難しさを感じるという時点で、自分はまだまだ子供でもある。


例えば、なんだろう。
自己犠牲のための「言わない美徳」って、美徳じゃないと思う。冒頭の話じゃないけど、やっぱり自分の幸せあってこその周りの幸せだし、そうじゃないと、周りも幸せを受け取れない。

別で言うと、誰かに遠慮しての言わないことも、言わない美徳じゃないんだと思う。”自分”だけで考えれば、わざわざ言わなくてもいいことってある。でも相手を思ったり、組織を思ったりしたときに、あえて言うことが必要な場面だってある。

そういったときに、ちゃんと言えるのも大人の要素の1つなんじゃないかって。


言わない美徳と言う覚悟。

その塩梅の模索はし続けながら、「何で言うのか」「何で言わないのか」は、ちゃんと自分自身の整理として持っておきたい。



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塩浦良太
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