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「どうするべきか」と「どうしたいか」

最近見つけて「あー、たしかにー!」と思った言葉を紹介したい。
それは、

どうするべきかと考えてるときは「頭」を使っているとき。
どうしたいかを考えてるときは「心」を使っている。

という言葉。

「どうするべきか」と「どうしたいか」って、たしかにこれまでも何度か考えた気がする論点だった。

その時は「どうするべき」という”義務”的側面より、「どうしたい」という”思い”的側面の方がいいよね、という終着点だった気がする。

だから今回この言葉に出会った時、

(あ、確かにその視点もあったか、!!)

とハッとさせられたし、なんなら今まで自分が考えていた視点よりスッと腑に落ちる感覚があった。言われてみれば確かにな、と。

”義務”的とか”思い”とか感情って、それっぽいこと言ってるけど抽象的なものだ。イメージは湧きづらい。

今回の言葉はすごくイメージがしやすかった。

実際、「どうするべきか」を考えている時って、自分の身体の感覚の話ではあるのだが自然と頭に集中がいっている気がする。頭で物事を考えている気がする。

逆に「どうしたいか」を考えている時って、心に集中がいっている気がする。これは話の辻褄があうようにするためとかじゃなくて本当にそんな感じがするんだ。身体の感覚的に。

なんんら「どうするべきか」考えているとき、自然と上を見上げている気がするし。「どうしたいか」考えているとき、自然と下見ちゃっている気がするし。

まるで頭で考えているのと、心に語り掛けているののように。


別に「どっちが正解」というのはないと思っていて。
それこそ場面ごとに考え方のアプローチは変わってくる。

「どうするべきか」を真剣に考えた方がいいときもあるし、それは一旦置いといて自分は「どうしたいか」を真剣に考えた方がいいときもある。だからその割合は意識していきたいんだけど、

せっかくなら”いっぱい「心」使っていきたいよね”と思っているわけ。

だって心って自分の中心じゃん。
THE 自分の思いって感じするじゃん。

「どうしたいか」を先に考えて、そこからじゃあ「どうするべきか」を考える方が順序的にはいいのかも。


いい言葉ってそれだけで納得するんじゃなくて、考えさせられる余白があるからいいよね。

いい言葉に出会い、まんまと自分と向き合う機会を、考える機会を与えられた休日になりましたとさ。

いい時間だった。

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塩浦良太
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