言語化が自分を救う
#就労支援の現場から Vol.2
自分の強みって何だろう。自分だから気づける視点って何だろう。
ふとそういったことを考えることがある。
就労支援の現場において社会福祉士や精神保健福祉士のような資格を持っていれば福祉的な目線で専門的な支援が行える。理学療法士や作業療法士、言語聴覚士という資格を持っていれば医療的な目線で専門的な支援が行える。
同じ教えてもらうにしても絶対「専門的」であったほうが、教わる側は嬉しいし、安心するはずだ。
じゃあ自分は何の専門家なんだ。
そういった壁にぶつかることがある。
ないものねだりをしてもしょうがない中で、あるものを生かしていかなければならない。そうだ、「言葉」だ。
専門家ではないが、趣味ではある。
ということで最近の移行支援のプログラムでこんな課題を提示した。
そう、「言語化」だ。
言葉にできるは武器になる、言葉にできるは盾にもなる、個人的にそう思っている。
自分の思いというのは自分だけがわかっていてもしょうがないときがある。相手に正しく伝えることで、それで相手が理解できることで初めて自分の思いが伝わる。
だけど自分の思いを伝えるって難しい。
なぜか。
それは自分への「理解度」に差があるから。
自分のことだったら抽象度が高くてもなんとなく理解できる。だって答えは自分なのだから。
例えば上記画像で説明すると、自分の中で「動物といえば犬」という認識だったとしよう。もしお題で「好きな動物は?」と聞かれたら、間違いなく「犬」と答えるだろう。犬以外ありえない。
だけどそれを周りの人も同じように答えられるだろうか。
抽象度のすり合わせができている、よっぽど仲の良い友達なら答えられるかもしれない。でも見ず知らずの他人が「(自分)さんの好きな動物といえば?」と聞かれたとき、迷わず「犬」と答えられるだろうか。きっと難しいに違いない。答えられたとしても悩むはずだ。だって可能性としては猫もありえるし、鳥もありえるし、サルもありえるから。
自分でわかっていても相手には伝わらない、それは抽象度の問題なのだ。
就労支援施設というのは形式としてサービスを使う方とサービスを提供する側がいる。「こういったサービスを使いたい」と思ってくる人と「こういったサービスを提供する」と理解して提供する人で構成されている。
したがってある程度抽象度のすり合わせはできている。
それでも意思疎通に難しさはある。それが人間というもの。
社会に出ればどうだろう。
就労支援施設にある前提のすり合わせがそこには存在しない。
「察してくれ」で察してくれる人ばかりの世界ではない。
現実問題として。
だから自分の言葉で、相手が理解できるように伝える力が必要になってくる。そのために必要なのが言語化なのだ。
抽象度が高いものを分解して分解して分解して。具体的にしていく。
「自分だけがわかる」状態から「誰でもわかる」状態にする。
それが何よりも自分を救うカギになる。
そう思っている。
パソコンスキルだったりビジネススキルだったりも必要なのは事実。
でもそれはある程度さえあれば、あとは現場で身につくものでもある。
それに最終的には職場で使う能力だけあればなんとかなるものである。だからいくら練習したとしても実際使わないものもあるのが事実だ。
だけど言語化は違う。
どの場面でも必ず使う。そして教えてくれる人はそうそういない。
だからこそ移行支援で、失敗できる今だからこそ身に着けてほしい。
ということで、課題を提供した。
私自身も言語化の探求はまだ終わらない。
一緒に成長していければ。