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コップと自分

面接があった。

質問の一つでこんな質問をした。

「あなたにとっての大切な価値観はなんですか?」

”価値観”って難しい。
すごい抽象的だ。

それはこの前の記事で書いたけど、「価値観リスト」と呼ばれるものでも80個ある。それをさらに細かく言語化すればその数はもう数えきれない。

難しいものなんだけど、きっと自分の中で定義できておいたほうがいいと思っていて。なんてったって価値観が自分自身を守ってくれる気がするから。価値観ってその人の指針だから。

そんなこんなで面接を受けた学生に価値観を聞いたんだけど、その答えがとても素敵な考えで。書き残しておきたくなった。

その方が大切にしていた価値観はいくつかあったけど、そのうちの1つが、

Give and Love

なるほど。面白い。その言葉の奥まで知りたくなった。

「その心は?」

「私、最近まではずっとギブアンドギブだったんですよ。自分は与える側でいいって。見返りというか、自分のことは後回しでいいと思っていたんですよ。」

「なるほど」

「でも、このままじゃいけないなって思ったんです。”自分が満たされないと愛情は与えられないな”って」

ここでコップの話が登場した。

「自分をコップと例えるとすると、やっぱり常にすり切りいっぱいであるべきだと思うんです。で、そこからあふれ出たものが愛情として伝わるんだと思うんです。コップの中身が半分しかない状態で愛情を与えても、『じゃあ自分は幸せなの?』って疑問になるんです。だって自分の総量はより減るのだから」

ちょっと一部私の解釈も含むが、私にはすごい納得感があった。

きっと誰かに「与える」ことができるのは自分が満たされているからであって。きっとそれは自分だけじゃ収まりきらないくらいに満たされているから自然と与えているんだろうなって。

受け取る側になって考えたとき、「この人あんまり元気ないな」って人から「元気出しなよ!」って言葉を受け取っても「あなたは?」ってなっちゃう。でも見るからに元気に溢れている人に「元気出しなよ!」って言われると自然と口角が上がっちゃう気がする。

すっごいわかりづらい例だけど、感覚として伝わっているだろうか。

自分が満たされているから相手に与えることができる。
満たされている人から与えられるから、受け取る人もすんなり手に取れる。

「誰かのために何かする」ってすごい尊いことだ。

だからそれをするためにも、まずは「自分のため」「自分を満たす」ことを考えないといけない。自分を満たすことが、誰かのためになる最初の一歩なのかもしれない。

こんなことを、面接での学生の回答から学んだ。

人間、生きている年数じゃないね。
考えた総数だね。

これからもいろんなところから、学んでいきたいな。




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