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側にいてほしいのは。

あなたは困った時も、別に困ってない時も、
どんな人に自分の側にいてほしいだろうか。

例えば親友とか、例えば先輩とか、
例えば恩師とか、例えば恋人とか、
例えば家族とか。

家族はちょっと別にしても、
基本的に自分の側にいてほしい人は
自分で選ぶことが出来る。
自分のコミュニティは自分で選ぶことが出来る。

何を選ぶかに正解ってなく、第三者が口を挟む余地も当然なく、
自分が選んだ「それ」が自分にとっての正解ではある。

そんな中でじゃあ自分の場合はどうかっていうと、
よく表現するのが、

「同じだけど違う人」

だ。

「は?」って感じかもしれない。
もう少し砕いて説明をすると、

「許せない部分だったり最低限大事にしたい部分は同じだったりしながらも、性格とか強みとかが違う人」

という感じか。

まずもって一番大事な要素として、
「許せない部分、最低限大事にしたい部分が同じ」である。
これが価値観が合うか、という部分につながる気がする。
この価値観が合わないと一緒にいるのも
お互いにとって居心地がよくないと思ってる。

そこが合う人だったらまずもって一緒にいて楽しいというか、
居心地がいいと思っている。

ただそのうえで、
さらに「この人に自分の側にいてほしい!」と思うのって、
❝自分と全く一緒な人❞よりも❝自分とは違う部分がある人❞だ

私は個人的に一緒にいる人からいつも
「何か吸収できるものはないか」と探すことが多い。
それかチームで何かやっていく場合は、
自分にはない部分を持っている人と
組んだ方が絶対にチームとして強くなると思っている。

全く同じであることは、確かに楽かもしれない。
しかしそこに「その先」はない。
その先がなければ成長も少ない。

やっぱり私は「違い」を感じたい。
そもそも価値観が合っている時点で、
そこから生まれる後の違いは自分にとって尊敬にしかならない。
私はそんな尊敬できる人と少しでも長く時間を過ごしたいんだ。

これは頭で考えてそう選んでいるというよりも、
自然と自分の近くにいる人は尊敬できる部分が多い人ばかりになっている。改めて自分は人に恵まれているなって思う。

ただこの感覚を研ぎ澄ませ続けていくためにも、
自己分析はずっと続けていきたい。
自分の感覚とは向き合い続けたい。

自分が許せないこと、最低限大事にしたい価値観の部分、
そして自分がどういうタイプの人間かということ。

自分を知ることが相手に興味を持つきっかけになるから。

あなたにとって「側にいてほしい人」はどんな人ですか?

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塩浦良太
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