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余計なことはしすぎるほどいいよ
「なんかいい」って感覚、ずっと大事にしたいなと思っている。
これだけ毎日noteを書いて、「言語化言語化げんごかぁ~!」とやっている自分ではあるが、好きなものほど言葉にするのって難しいものだ。
だけど言葉にできないことが残念、と思うどころか、好きなものに関してはこの「言葉にできない」という感覚さえどこか愛しく感じることもある。
最近、曲は「歌詞」に注目して聴くようになった。
前にもそんな記事を書いた気がするけど、内容忘れたしもう1回言っておく。
自分が直感的に「いいな」と思った曲もそうだし、だれかがおすすめしている曲も「聴いてみよ」となる。そんな中で出会ったのがスピッツの『運命の人』。
調べるとどうやら1997年リリースされた曲らしい。
「いや、自分より生まれるの早いやん」という衝撃。だけどすごく歌詞には刺さるというか、響くものがあった。どうやら言葉に時代遅れとかジェネレーションギャップはないらしい。
歌詞の一言一句、考えさせられるというか、すごく素敵な言葉が紡がれているんだけど、中でも直感的にいいなと思ったのが、
「余計なことはしすぎるほどいいよ」
というフレーズ。
パッと聴き、「え、余計なことはしすぎないほうがいいんじゃない?」と思いがちだけど、そう思いがちなところをあえて「しすぎるほうがいい」というところに「いいな」と思わされる部分がある。
じゃあどうして「余計なことをしすぎるほうがいいのか」なんて、深掘りしてみよう!ということもできるのかもしれないが、それはちょっと野暮かもしれない。変に正解を決めちゃうよりその時々の感じ方を大切にしたいしね。
とかいいつつ、今の段階での言語化をしていくと、
「いかに余分なこととか、無駄と思われがちな時間をつくれるか」
だと思っている。
時間に追われていると、”必要最低限”とか”効率”というものに終始しがち。だけど発想力と創造力って、案外余分や無駄から生まれると思っていて。自分が「余計」だと思っていることに程、チャンスって詰まっているのかもしれない、そう思わせてくれる。
例えばいつもと違う道で帰ってみるとか、例えばいつも省略しがちな「ありがとう」を最後に必ず語尾につけてみるとか、なんか普段してないけどしたらよさそう、面白そうなことをやってみることなのかなって。
相手に迷惑をかけない程度の「余計なこと」、やっていきたいな。
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