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自己分析って沼

あなたは自己分析をやったことがあるだろうか。

就活を経験したことがある人はやったことがあるかもしれない。
絶賛自己分析中の人もいるかもしれない。
まだやったことがない人もいるかもしれない。

まず単刀直入に、自己分析って大切だ。

すごい当たり前のことをわざわざ1行使って、わざわざ太字にして書いた。就活をするからやった方がいい、とかそういうレベルの話じゃない。

就活をするときはもちろんだけど、就活が終わった後もやった方がいいし、なんなら就活をする前からやった方がいい。

人生って自己分析の連続だ。


そもそもじゃあ自己分析ってなんだろう。
自己分析という言葉自体が抽象的だ。

ある方は言った。

「自己分析というのは自分のことを
自分の言葉で相手に伝えることが出来ること」

自分の中でわかっている、に留まらない。自分の言葉で正しく相手に伝えること、ここまで出来てようやく自己分析出来たと言える。


ここまで自己分析というそのものの前提を話したうえで本題に入りたい。

「自己分析って沼だよね」

と。

一体今自分は自分のことをどれだけ知っているだろう。そう自分に問いかけてみても自信を持って「100%知ってます!」とは言えない。

一応「就活」というものを経験し、一定程度の自己分析はしてきたつもりだ。なんならこのnoteだって毎日自己分析の連続だ。

それでも、それでもまだ100%の自分は理解できたと思わない。

というのも、

「自分の1を知ることで、
知らない9が出てくるから」

表現として適切なのか、わかりやすいのか自信はないのだが私の中にあるイメージとしてはそんな感じだ。

例えばある状況で10に選択肢があったとして、自己分析をした結果、自分ならある1つを選ぶだろう、ということがわかったとする。

ある1つを選ぶということが決まったということは、その背景に選ばなかった9があるということだ。じゃあどうしてその9は選ばれなかったのか。そこからまた新たな自己分析が始まる。

そうやってどんどんどんどんどん広がっていき、自己分析の沼から抜け出せなくなっていく。そんな気がする。


私自身、就活をやっている中で自己分析をしていて、こういった自分を知ろうとした結果、むしろ知らない自分が増えていったことに対してとても焦りを感じた。挙句「結局自分って何なのか」という悪い方向の沼にハマってしまった気がする。

自己分析で「自分」という人間の正解を焦って求めすぎていたのかもしれない。焦ってジタバタしてしまったのかもしれない。

沼ってきっとジタバタすればするほどはまってく。
いっそ沼にはまっていることを楽しんだ方がいい。

自分のことを知ることを楽しみながら、
知らない自分がまだまだいるということを面白がりながら。
前の自分と今の自分が違うことを面白がりながら。
今後自分の気持ちはどう変化していくんだろうということを楽しみながら。


私はもう、一生をかけて自分と向き合っていく覚悟はできている。
沼を楽しむ準備は出来ている。

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塩浦良太
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