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試行錯誤の糧が言葉に出る

先日あるYouTubeを見ていたら、1人のプロスポーツ選手が何人もの同じスポーツをやっている、だけどプロじゃない選手たちの質問に答えていた。

質問はまさに三者三様。

技術の質問をする人もいれば、メンタル面の質問をする人もいる。
自信の話や自分の役割の話などなど。

多岐にわたる質問。
普通なら多少つっかえてしまったり、抽象的な言葉に逃げてしまったりしてもおかしくない。たとえ抽象的な言葉になったとしても、話す人がプロの選手だったらそれっぽく聴こえるくらいの説得力はある。


だけどその人は違った。

1人1人の質問に対し、ズバズバと的確なその人なりのアンサーを提示していく。それは質問した人にとっての答えではないかもしれない。でもそれは確実にその答えたプロの選手にとっての答えだった。

他の誰かにとっての正解なんかはわからない。
むしろ正解をおしつける方がおこがましい。

それに誰かにとての正解を狙いに行って発言すると、中身が薄いことになってしまいかねない。だって自分の言葉じゃない時もあるから。

じゃあどうしてプロの選手の答えは「その人の答え」だと感じたのだろうか。


それは、その人自身が悩んで試行錯誤してたどり着いた答えだからだ。

その人が過去に質問者と同じような状況に陥って、もがいて悩んで試行錯誤してその結果それを乗り越えた、もしくは現在進行形で乗り越えようとしている人のリアルな答えだからだ。

きっと質問する人はまだ漠然と頭の中にある感情を、どうしたらいいかわからないから質問している。

それに対して真摯に答えられる人は自分も同じように悩み、自分なりの言語化が出来た人。同じように悩んだから質問者の気持ちもわかる。と同時に質問者の足りていないところもわかる。だからその人の答えにはグッと刺さるものがあるんだと思う。

どんな質問に対しても素早く的確に答えられるということは単に頭の回転が速いだけじゃない。

同じようにいっぱい壁にぶつかり、いっぱい悩み、その結果その都度たどり着いた答えが多いからなんじゃないだろうか。


悩むってつらい。
できることなら悩みやたくない。

でも悩んで試行錯誤したからこそ気づけることがある。
人に伝えられることがある。

言葉で多くを語れる人は、それだけ試行錯誤して自分と向き合って考えた人だ。その過程を糧にした人だ。

せっかくなら自分も、
生きているんだったら自分の過去を、試行錯誤してきた経験を、
言葉で伝えられる人でありたい。

そしてきっとまだ悩んでいる量は足らない。
大人になると失敗が怖くて、悩むのを恐れて安全な方へ安全な方へ行きがちだけど、そこはしっかり真正面から向き合っていきたい。


そんな風に思った。

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塩浦良太
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