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「誰でもできることができるのは、すごくないんですか?」

「いいものはどんどん盗んでいく」

これだけ聞くと聞こえは悪いけど、自分の中で結構大事にしている部分。
特に言葉はそう。

あ、でもそれはよく言われる「パクツイ」(=バズってる投稿をそのまま真似して投稿する)みたいなものとは違う。

「いいな」と思った母体となるものを取り入れて、そこに自分の解釈を加えていく。そうすることで自分だけの”言葉”にする。

だって世の中には言葉がごまんとあふれていて、そこからさらにオリジナルで生み出そうとなったら至難の業だ。

だから私はいつもnoteを中心的に、

「いい言葉ないかなー」

って「宝」探しを日々行っている。


そんな中でいつの記事で誰の記事か忘れてしまったのだが、
こんな言葉を見つけた。

それが、

「誰でもできることができるのはすごくないんですか?」

調べるとこれは、フジテレビ系列で放送されていたドラマ「僕らは奇跡でできている」にて、高橋一生さんが演じる主人公・相河一輝が言っていたセリフらしい。

私はこの言葉を聞いたとき、「なんて素敵な言葉なんだ」って思った。

どう素敵かっていうと、
”忘れていた「当たり前」を思い出させてくれる感じ”だ。

最近は”個”が輝く時代なんて言われ方をすることがある。

「個性」とか「差別化」とか「らしさ」とか、そんなことを追い求め、見つからず、苦悩する人だって多いんじゃないだろうか。

もちろんそういった部分を探し続けることって大切だ。
でもそれが見つからないからといって「自分はダメなんだ、、」なんて思うことはない。だって”できる”ことは何かしらあるのだから

私たちは日々雑踏の中で生きていると「当たり前」とされていることができることに対しての素晴らしさを案外忘れがち。

その素晴らしさを、上記で挙げた言葉が改めて教えてくれている気がする。


人は誰かに「教える」立場になると、急に見え方が変わってくる。

教えるって知っている側の人間。
教わるって知らない側の人間。

知らないを知るに変えるために、「教える」が存在するのに、中には

「どうしてそんなことも知らないの?」

とか

「そんなのできて当たり前」

だとか言う人もいる。


確かに教えるその人にとっては既知のことだから「当たり前」なのかもしれない。

でも教わる側からすればたとえそれが周りから見て「できて当たり前」だとしても、そのできたことに対しての特別感ってたまらないはずだ。

私はそのできた特別感を一緒に味わえる「教える」側でありたい

だって自分だってそうだろう。
最初はできなかった、最初は知らなかった、
そこから始まったはず。

それができるようになった時の喜びは、何にも代えがたいものだったはず。

その喜びを奪っちゃいけない。
そんなの「教える」側の人間からすれば全員通ってきた道のはずだ。

誰かができる、とか、誰でもできる、とかは一回どうでもよくて
目の前のあなたができることが尊いことなんだって。


別に「教える」って学校の先生とか何かの支援者とかそういうのに限った話ではないと思っていて。

会社の上司部下の関係とか、
部活の先輩後輩だとか、
地元の年上年下とか。

誰にとってもありうる話。


「誰でもできることができるのは、すごくないんですか?」

自分にとって大切にしたい教えであり、価値観だ。

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塩浦良太
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