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やっぱり、1人より誰かと共有したい。

”幸せ”ってどういうときに感じるだろう。

「誰かに左右される”幸せ”よりも、自分1人で感じられる、生み出せる”幸せ”の方がいい」

そんなことを耳にすることがある。

確かにその理論はすごくわかる。
だって自分で自分のことを幸せに、ご機嫌にできないことほど大変というか、疲れることはない。

目の前で起きる変化に一喜一憂して心休まるところがない。
自分でコントロールできる対象は何か。
そう、自分。

だから自分1人で感じられる幸せを見つけることが1番の幸せだ、って。おそらくそういった仕組みなんじゃないか。

その大前提にはすごく納得したうえで、
それでも声を大にして言いたいことがある。

\ やっぱり幸せは、共有できるものがいいよ /


1人で感じられる幸せ、確かにそれはいい。
ご褒美に食べる焼肉、入浴剤を入れたお風呂、温かいお布団。
幸せだ、最高だ。

でも最近自分が「めっちゃ幸せだな」と感じた瞬間はどんな時かっていうと、必ず近くに誰かがいた。

自分が”幸せ”と思えている瞬間を、共有している誰かがいた。


一緒に食べた焼き肉。
一緒に見た桜。
一緒に悩んで打開策を見つけた会議。

などなど。

それは決して1人では味わえない。

誰かがいるから、
特に自分にとって大切な誰かが近くにいるからこそ一緒に分かち合える幸せな気がした。


これって幸せなことに限らず、
楽しいことだってそうだし、
悩みだってそうだし、
悲しみだってそうだし、
喜びだってそう。

1人で感じられるそれらより、
誰かと感じられるそれらのほうが、
よっぽど自分にとっては価値あるものなように感じる。


だから自分って弱い人間なんだなって思う。
結局誰かが近くにいないと、
幸せを強く感じられないという。

だけど開き直るわけじゃないけど、
それならそうと受け入れている自分もいる。

自分は弱いんだ、って。
みんなが必要なんだ、って。


やっぱり、1人より誰かと共有したいんだって。


喜びも、悲しみも、楽しさも、悔しさも、

幸せも。


だからこれからも弱さ全開であり続けたい。
いっぱいいっぱいシェアしたい。
いろんなところに顔突っ込んでいきたい。

そう思ってる。

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塩浦良太
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