祖父の日記(サバン島抑留)059緒方曹長との決別
十二月二十四日
十二月二十四日
神馬場軍曹シンガポールより到着す。
うれしさと悲しさと重なれり
一人還りて二人去る今宵
緒方曹長との決別
今日はトラックで緒方曹長と近藤軍曹が連合軍に運行された。 処刑されることはないにしても、連合軍の裁判の実際は見たこともないのだが、入手する情報は嫌なこと許りだった。
彼等と別れの挨拶どころか、見送ることも制止せられた。それでも監視兵の目を逃れて、道沿いの鉄条網の内側へ走り寄って、トラ ックの上の彼等へ手を振った。トラックには緒方曹長以下十三名が乗っていた。
砂煙りを上げながらスピードを出して去って行くトラックの 上で、群なした彼等の各自に立上って、交互に白い防暑帽を振る姿が、どうしても脳から消え去らない。此の直線コースから海沿いに左へトラックは曲って、バナナの葉の繁みの蔭に見えなくなった。ウッスラと、白く砂煙りが残ったかに見えたが、海から来る風で此の砂煙りもち消え去って行った。鉄条網に寄ったままの姿で自分はしばらく此の場所を離れず、トラックの姿を消したバナナの葉の揺れるのをじっと眺めていた。
想えば去る一月、メダン飛行隊の軍曹を殺人罪でスマトラからシンガポールへ護送する時、緒方曹長は、個人的所用のある由を以てその護送勤務を自分に命じて呉れと願出た。けれ共、小生は之を拒んだ。 拒んだ理由は、
「個人的な理由により公の勤務を利用してはいけない」
ということだった。
小生の拒否した行為が、どんなにか緒方曹長を落胆させ、心を暗くさせたことか。けれ共此の場合彼にのみ此の行為をしたなら、 多数の隊員を統御することが出来ないからだった。
今にして思えばみんな夢の様な出来ごとだった。 そして彼を見送った鉄条網に添って、斯んなことを思い出しながら立っている自分が淋しく思えた。
既に楠本曹長が去り、緒方曹長、近藤軍曹が今日去って行った。斯うして欠けて行く隊員、そして最後に誰と誰とが残るであろう。
網膜にまだ残りけり帽子振る
部下等の姿貨車に去れるよ
千切れる程帽子振る手もかくれたり
道辺に繁るバナナの葉蔭
今次こそ永の別れとなるならん
只に手を振る囲いの中で
尽くすべきつとめ果たさず吾部下を
見送る吾の心哀しも
悲しみも憂いも今は思わざりと
誓いしなるに吾頬の濡るる
十二月二十五日
クリスマス、作業休み、タピオカのぜんざい造る。
生くること既にのぞまぬ我なるに
今日の迷ひを如何ともし難し
十二月二十六日
どす黒き雨雲垂れて海の面は
空と一つに荒れ狂はんとす
十二月二十七日
日本海軍保管になる松茸の罐詰を支給さる。
星を見つつ煙吐くかまどに立つ我の
足下をいま冷たき風吹く
十二月二十八日
粉ミルク配給す。
吠え狂ふ波は丈余の岩に裂け
垂下る雲は此の波を圧す
煙る如く飛沫は跳びて波狂ふ
風なきタベサバンの島は
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