共創の時代を生きる人のためのストレスマネジメント
SNS時代の慢性的なストレスの行き先
始めは利他的なあらゆるSNSも、すぐにスケールを追い気がつけばコモディティ化してしまう。もちろんプラットフォーム側はそこまで拡大させてはじめて旨味が出るわけで。
使いこなしているはずのぼくらユーザーは、ただステータスを競いあうか、同質の泡の中に閉じこもるか、承認欲求と孤独を際立たせるか。
気がつけば多くの人にとってのSNSは、他の心地よい場所ではなく慢性的なストレスの蓄積場となっている。
SNSのコモディティ化につれ、いつの頃からか(と言ってもここ10年以内だが)SNS人口は総キャバクラ化した、ともいえる。
多くの人にとって、そこで日々無意識に感じている慢性的なストレスが誰かへの稚拙な憎悪や欺瞞を暴力的な集団力学へと増幅させる土壌になっているのかも、と思える。
こんな今こそ大切なのは、オンラインからオフラインへとSNSから生身の関係へと、利他の力を掛け合わせて何かもっとみんなが喜べるビジョンをカタチにしていくことなのだ。
それこそが「共創の時代」だと思う。
一方、自分の私利私欲を中心に置いてがんばると「共創風情の癒着」が出来上がる。それを人は Win-Win と呼ぶ。
しかしそこにある「成功」をどう調べても「ビジョン」は見当たらない。
それはまさに癒着そのものであり、多くの人のとっては自己犠牲を強いるものだ。癒着と隠蔽はセットであり、それを維持する圧力がハラスメントとして、癒着の外縁から波紋のように浮かび上がる。
ハラスメントは、癒着を維持するために構造化され、誰もが慢性的なストレスとして内面化されながらますます日常化されていく。
求められるSNS内ダンバー数に合わせた共創を生み出す機能
ぼくらは100〜250人くらいまでが、円滑に安定して維持できる人付き合いが限界、とされる。これをダンバー数と言うそうだ。人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限である。
ダンバー数を超えると、グループの団結と安定が難しくなり縛り・規則・ルール・ノルマ・時にナゾの風習みたいなものが増えてくる。
言い方を変えると、それだけダンバー数オーバー状態はぼくらにとって慢性的なストレスなのだ。
自身のストレスを見つめながら暮らし・仕事・事業の「質」を進化させていくためストレスをどうマネジメントすべきか。
SNSやそれに類するそれぞれのWEBプラットフォームにおいても、SNS内ダンバー数を調整し、ビジョンに向けてユーザーが共創を生み出す機能みたいなものが実装されるのが良いのだと思う。
ビジョンに向かって、対話したりアイデアこねくりながら、名もなき人たちが豊かな行動を生み出していく。そこそこのサイズの多様なローカルな「利他の場」。まさに PARK のような場こそ、これからのメディアやSNSのプラットフォームに求められていく機能だろう。
そこでは癒着を背景としたパワーは生まれないし権力勾配をテコに活躍することもできない。Win-Win ではなく Whole-Win なのだから。
そこではぼくらは好き勝手なようでビジョンに向けて連動して動く。SNSから生身の関係へと連動して、自分の存在価値がビジョンを反映している。
いわば「個人の好き」と「みんなのビジョン」が両立している世界観だ。
「共創の時代」において虚像をつくる装置としてのマスメディアもSNSもその存在は空虚になる。
ビジョンに向かいハートで思っていることと行動が結びついて動いていく人たちと関わるほど、ルールも少なく慢性的なストレスも少なくなっていく。
ビジョンに向かうことは、癒着の人たちにとっては「シ」と同義だ。しかし共創の人たちにとっては「楽しき道のり」なのだ。
マスメディアだろうがSNSだろうが癒着のためのメディアならぜんぜんなくなって構わないし、人生の時間は割かないよ。
・・・くらいのしなかやさでこの時代を生きていきたいものだ。
進もう。ストレスの風を帆に受けて ~ストレスマネジメントでしなやかに強くなる~
2025年1月のRYO`s Messageのテーマは、ストレスマネジメントを活かしてストレスを仕事や人生の力に変えていくための考え方について。
ネガティブなニュースが飛び交いSNSによりネガティブな感情や憎悪・欺瞞が一気に助長されてしまう昨今。自身のストレスを見つめなながら、暮らし・仕事・事業の「質」を進化させていくためにこそ、ストレスをどうマネジメントすべきか。いくつかの視点から語っています。