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無個性な文章なんてない
こんばんは。
今日も一日おつかれさまでした。
半袖半パンでランニングしていたら風邪をひきました。
糸村遼です。
個性的な文章、書きてぇですよね。
あの人もこの人も、偉大な文筆家たちはみんな自分の文体を持っています。
リズムが独特だったり、比喩が凝ってたり、文末表現をわざと統一させたり。
そういう文章はちょっと読んだだけでも「お、これはあの人だな」とわかります。
文体そのものに作家の匂いが染み付いているのです。
では、どうすればそんな個性的な文章が書けるのでしょう?
「個性的な文章 書き方」と検索すると、たくさんの方法論が目に飛び込んできます。
一つ、自分の感情を深掘りするべし。
一つ、型を学ぶべし。
一つ、文末表現には気をつけるべし。
一つ、好きな表現を模写するべし。
なるほど。
どれも的を射ています。
けれど、なにか引っ掛かります。
「個性的な文章」を書くための「一般法則」なんてあるのでしょうか?
それは本当に個性でしょうか?
「オリジナルな文章を書くための方法論」というのは、そもそも矛盾してはいないでしょうか?
「読みやすい文章の書き方」や「文章上達のための方法論」なら納得できます。
ただ、いま問題にしているのは文章の「個性」です。
「うまさ」や「わかりやすさ」とは、そもそもベクトルが違います。
そして、おそらくですが、個性はどんな文章の中にも存在します。
無個性な文章なんてないのです。
あなたの文章も僕の文章も、きっとすでに個性を持っています。
だから 僕は僕らしく そして 君は君らしくって
始めから 探すようなものではないんだ と思うんだ
あとはその個性を見つけて、伸ばしてあげるだけ。
僕は僕のままで、あなたはあなたのままで正直な文章を書き続ければ、個性はその中ですくすく育っていくでしょう。
それを信じてこれからも書き続けます。
個性を育て続けるために。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
明日もいい日になりますように。
昨日はこんな記事でした。