世界を形づくる3つのUltimate Question -古典50冊の感想文(4/4)
古典50冊からの学びの結論として、世界を形づくる3つのUltimate Question の紹介をし、UQをフレームワークに使って50冊の本をジャンルごとに整理している。前回は物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩)を紹介した。今回は科学。
人類にとっての最も重要な普遍的問い UQ(Ultimate Question)は以下のとおりであった。
UQ1:人間とはなにか・どのように生きるべきか
UQ2:人はどのような共同体を築くべきか
UQ3:世界/宇宙はどのように成り立っているか
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(4) 科学:UQからの価値概念の分離
科学の特徴はUQへのアプローチにおいて価値概念(~すべき、~するのがよい/悪い)を分離していることである。ところが皮肉なことにそのアプローチから生まれる示唆は価値観を大きく揺るがすことになっていった。科学が哲学から明確に分化したのはルネッサンス期になってからである。
ユークリッドやピタゴラスに見られるように幾何学は独自の論理体系を築いていたが、それは多くの場合理念的で、UQ3を説明しきるだけの力をもっていなかったように思える。16Cのデカルト『方法序説』でさえまだ"我思うゆえに我あり”の隣に”心臓と動脈の運動”が書いてあったりする。
事態が変わりはじめるのは天文学、有名な”コペルニクス的転換”においてである。
コペルニクスは『天体の回転について』でプトレマイオスらの提唱する天動説から推測される星の軌道と実測値の観察結果のズレを解明するためにギリシャ・ローマ時代の天文学の文献を漁り、そこに地動説の仮説を見出した。しかし、その論法は今の眼から見ると依然、科学的とは言い切れない物が多い。例えば、第一章はこう始まる。「先ず宇宙は球形であることを言う必要がある。理由はこの形が最も完全であって継ぎ目も何も要らないという…」
コペルニクスの”転換”がキリスト教的世界観に与えた影響は言うまでもまい。1536年に提示されたこの説は、1632年になってもガリレオが『天文対話』にてギリシャ的問答法を通じてコペルニクス説派とプトレマイオス説派の意見を戦わせる必要があるくらい、受容されていなかった。(余談だが、『天文対話』においてガリレオが地動説の決定的根拠として示した波の満ち引きに関する論考は実は科学的には全くの誤りであった。)
決定的な決着がつくのは、1686年のニュートン『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理 )』においてである。ニュートンは重力によって天体の運動と地上のあらゆる運動を説明し、幾何学的厳密さによってその運動を定量的に示した。『天文対話』と『プリンキピア』を比べると54年間の間に天文学が一気に哲学から科学へと脱皮していることをまざまざと感じられる。ニュートンは運動方程式という極めてシンプルな数式によってUQ3に明快な解を与えた。
次に科学が取り掛かったのはUQ1/UQ3である。「人間とはなにか」「生物はどう創られたか」この問いに対する解の一部は1859年 ダーウィンの『種の起源』によって与えられた。ダーウィンは家畜化された動植物が変異していく(例えば毛の白い羊どうしをかけ合わせるともっと白い羊が生まれる)ことをヒントに野生の動物も同様に変異しているのではないかと考えた。
そして家畜において人間が選別を行うように、野生の動物においては自然が選別を行うのではないかということ(自然淘汰)、そしてこの変異の分岐を遡れば現存するあらゆる動植物が類縁であることが言えるのではないか、という仮説を示した。すなわち、人はサルと共通の祖先をもつことになる。
言うまでもなくこれは、人は神の子であり、生物は神の創造物であるというキリスト教的UQ1/UQ3モデルに反するものであり、ダーウィンは終生その批判のプレッシャーにさいなまれることになった。
別のモデルからUQ1/UQ2への示唆を与えたのは 1917年 フロイトの『精神分析学入門』である。ここでフロイトはニュートン以降万能と見られた近代科学・近代的思考への疑問を提示し、科学の枠を超えて現代哲学への道を切り拓くことになった。
フロイトは精神科医として"言い間違え”、"夢”、”神経症”といった臨床経験とその分析を通じて「無意識」の存在を提唱した。この歴史的な意義についてはフロイト自身の言葉を引用したい。少し長いが科学史のサマリーになっている。
人類は時の流れの中で科学のために二度その単純なうぬぼれに大きな侮辱を受けなければなりませんでした。
最初は、宇宙の中心が地球でなく、地球はほとんど想像することができないほど大きな宇宙系のほんの一小部分にすぎないことを人類が知ったときです。
…二度目は、生物学の研究が人類の自称する創造主における特権を無に帰し、人類は動物界から進化したものであり、その動物的本性の消しがたことを教えたときです。…
そして三度目の、そして最も手痛い侮辱を今日の心理学的研究によって与えられることになります。自我は自分自身の家の主人などでは決してありえないし、自分の心的生活の中で無意識に起こっていることについても、依然としてごく貧しい情報しか与えられていないということを、この心理学的研究は証明してみせようとしているのです。
フロイトはさらに野心的なモデルを打ち出している。それは、エス(無意識) / エゴ(自我) /スーパーエゴ (超自我) である。
超自我とは自我を抑圧する倫理的存在であり、これは両親との関係が内在化されたものである。自我は無意識と超自我の板挟みになりこれがあらゆる精神疾患を引き起こす。ところで、自身の超自我は両親との関係の象徴だが、両親の超自我はその両親との関係である。
すなわち、超自我は世代から世代へと受け継がれてきた一切の普遍的な価値の担い手になる。さらに遡っていくと人類の父親たる創造神に行き当たる。すなわち自分の超自我は象徴たる父親として連綿と受け継がれてきた創造神が押しつける倫理観である。フロイトは最終章の「世界観というものについて」という章で、世界観をつくりだす3つの力として宗教・哲学・科学をあげ、科学は自然科学と心理学に分けられるとした。そこには自身のモデルによって世界観を生む強い意思が感じられる。
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以上、古典50冊からの学びの結論として、世界を形づくる3つのUltimate Question の紹介をし、UQをフレームワークに使って50冊の本をジャンルごとに整理してきた。
メモ書きのつもりがだいぶ長くなってしまった。このネタで色々な人と話してみたいのでコメントをお待ちしています。
歴史、経済、宗教などカバーしきれていない領域がまだまだあるので今後も時間があれば書いてみたい。
全体の目次は以下の通り。
「世界を形づくる3つのUltimate Question -古典50冊の感想文」
(0) 人類普遍の問い - 3つのUQ
(1) 古典哲学:UQのルールメイキング
(2) 近代哲学:UQへのアプローチの多様化
(3) 物語(ギリシャ神話・悲劇・叙事詩):予言の実行/忠告の無視
(4) 科学:UQからの価値概念の分離