樽の中のバラード
「もう赤い糸が切れたような気がします」
文中のその部分に「今時、こんな表現を使うかなぁ」と可笑しくもあった。焦りはすぐに遅れてやってきたので、とにかくエンジンを掛けた。アルバイトで購入した6万の古過ぎるカローラ。走り始めて30分も経つと斜陽がバリバリに割れたインパネをオレンジ色に彩っていた。
まるで、「あがらっても仕方ないよ」と優しく教えてくれるようだった。
彼女のアパートに着いた時は、すっかり深夜だったが、まだ部屋の明かりは灯っていた。「気がする」というというは可能性の問題なとではないことを確認して、その瞬間に確実に、もう過去の人とすっかり認識していた。
あまりにも漠然とした後悔の中で、ビーチ・ボーイズの「バラード」という、その名の通りバラードだけを集めたベストアルバムだ。それらの楽曲は僕の心に空いた白い穴の中に四六時中流れ込んでいた。
まるで埋め合わせのように、友達に紹介された女性とすぐに付き合った。海を見て食事をしただけなのに「次はいつ会えるんですか?」と聞かれて「会えません」なんて言う勇気はないから。
車内で流れている「サーファー・ガール」を聴いて「これ、いい曲ね。でも、なんだか寂しい感じ」と言った。
この曲は僕達が生まれてもいない時代(1963年リリース)のシンプルで美しい曲で、ブライアン・ウィルソンの歌声とハーモニーが心地よく絡まっている。
僕は「えぇ!そうかなぁ?別に寂しい曲調には聞こえないんだけど。歌詞にしても、まるで能天気というか、、、でもなぁ…まぁ、哀愁が漂っているような気もするね」と言って、ビーチ・ボーイズの何たるも知らない僕は知ったかぶりを避けるために話題を変えた。
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僕は彼女の大好きなカルーア・ミルクのボトルをプレゼントしたお返しにCDを貰った。
「いっつもローリング・ストーンズばかり聴いてるけど、きっとこのアルバムなら気にいると思うよ」。そう言って渡された。
「どうもどうも、ストーンズに飽きたら聴くから」と戯けて言った。
「もう、それなら一生聴かないに決まってるやん」と可愛く口を尖らせた。
ベッドに寝そべると彼女はいつものように就寝の儀式として腕枕を要求してきた。近くのラブホテルのネオンの灯りが部屋の色を変えていく中で、この瞬間を頭に刻みつけておこうとしていた。一番の幸福に包まれた時に失わられたことを、いちいち恐れてしまうタチの若造だったから。
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先日、 女性友達が失恋から立ち直れないことについての話をした。特段、相談ごとではなく単純に誰かに聞いてもらいたかっただけのようだった。
「いずれはね。熟成されたワインのように、全ては味わい深いものになっていくような感じなるんだよ」とキザな言い回しだけれども僕としては確かなことだ。
彼女は、「無理ですよ。そんなの理解できない」と言った。
僕は個々の性格の問題と理解はしていたが、それでも「上等なワインになるには割りかし上等な失恋をしなきゃきゃね」と真顔で返した。
「きっと、その彼女さんは美人だったんでしょう?」と彼女は尋ねた。
「かなり色んなことは思い出せるんだけどねぇ。顔はイメージでしか思い出せないだよね。その彼女だけなんだから。カネコアヤノみたいな感じだったかなぁっていうだけでね。本当に不思議なんだよね」と答えた。
「美化され過ぎちゃっているんじゃない?」と大笑いされた。
「そうかも。『放り込む曲』を聴いちゃっていたからね」
音楽はシチュエーションによって単純に流れていくものもあれば、心にこびりつくもの、また放り込むものもあるのだろう。
「へぇ、なんて曲?」
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僕は、自分でも驚くぐらいあっさりと認めたことにスッキリしたような気がしていた。道中に覚悟はしていたはずなのに様々な思考が停止していた
アパートの玄関を開ける前にオイルライターで煙草に火をつけた。乾いた空気に金属音が重なる音は誇張して聞こえた。
天に向って顔を上げて吐き出した煙は白い吐息と入り混じって真冬の漆黒の夜空へと吸い込まれるように、あっけなくふわっと消散した。
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その最後の夜のことだけは今でも鮮明に思い出すことがある。
そして、僕はたまに思う。さすがにインドとインドネシアは別の国って認識しているといいなぁ。とか。