比較相手がいなくても使っちゃう「とか」
「◎◎とか」のほかは?
「◎◎とか」って言われて、「じゃあ他には何が?」って返す。
もはやネタにすらなりつつある言葉の指摘ですが、そもそも比較対象がなくても「とか」って使ってしまう人、増えている気がします。
「とか」の意味より癖
他に比較対象があり、一例として◎◎を挙げているから「◎◎とか」。他の比較対象はあるけど、しかしこちらが一々言わなくても書かなくても、相手は察するだろう。
なーんて賢く分析されることもありますが、そこまで考えてる「とか」を使う人ってどれだけいるのかな。
個人的には、口癖でつい言っちゃうってニュアンスを感じます。むしろ口癖だから、他の候補が挙げられない。
断定は避けたい
じゃあなんて癖になるほど使ってんのかと言えば、「とか」が無くなることで「◎◎断定」になるのを、無意識で避けたいんじゃないかなって。
言ってる人からすると、「◎◎以外にもあるだろ!」って怒られるより「他にも候補があるのになぜ◎◎しか言わないんだ!」って怒られる方が怖いように見えます。
責任から逃れられる
言葉の重み、言葉は凶器とはよく言ったもので。
「とか」というある種の曖昧表現にすることで、「断定してしまった自分」という責任は無くなるんですよね。
逆に「他があるのに言わない」ことの責任が生じますけど、「他がある」という指摘を受けるってことは、相手は他の存在を分かっているので、罪は軽い?ような?「他を知らなかった」って逃げ道もできますね。
断定してしまうと「他にない」とも決めつけてしまうことになるので、知らぬ存ぜぬが通りませんし。
私も責任大嫌い
私も実は、癖になってるかもしれない1人です。「とか」だけじゃなく「など」も、こっそり使ってそう。幼少期少年期にきっかけがあるので、もう抜け出す気にもなりません。
そもそも指摘をされないに越したことはありませんが、今やネタにしてくれる「とか」って他に何があるんだよ(笑)って言われる方が、心も軽いです。