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世界をひとつの大きな“砂場”に見立てたのなら 【#4】
一歩でも変われた今日を、この瞬間を、祝福しよう 4/25(mon.)
目に見えない心のパンデミック
家主の河野さんと雑談をしていると、河野さんの周りで鬱に苦しんでいる友人が複数人いると聞いた。
ぼく自身も数年前に長らく苦しめられた。で、ぼくのアメリカ時代の親友のドイツ人(医師)とメキシコ人(起業家)も同様に苦しんでいる。これは、もはや資本主義×テクノロジー起因のグローバルかつ普遍的な病と疑わざるを得ない。
きっとその苦しみを周りに言えないまま、押し殺していたり、隠していたりする人も少なくないだろう。目に見えないこの病理に蝕まれている人は、きっとぼくらの想像以上に多い。なにかを手にするということは、なにかを失うことでもある。
とりあえずぼくが言えることは、とにかく焦らないこと。快調に向かうまでにどうしても時間がかかってしまうのは仕方ないので、とにかく無理をせずに、ストレス要因を最大限に排除しながら、ポレポレ(スワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」)と過ごすのがいい。
ぼくはたまたまケニアに縁があって、この地に身を置いて精神を回復させることができた。だから、いま自分を取り囲む小さな世界がすべてと思わず、ドラスティックに生きる場所を変えてみるのも一つの手だろう。そう思います。
大人になってから遊ぶ砂場の範囲を世界に広げてみたのなら。意外と未熟な自分を受け入れてくれる範囲は広かったりするし、助けて支えてくれる人は少なくない。まず、自分から動き出すこと、知らない世界を知ろうとすること。自分が動くから、世界は転がるし、自分もつられて未知の世界で躍動できる。
一度しかない人生のなかで、だいたいの事柄が”気づいた時点でもう遅い”のだとしたら。一歩踏み出して、変われたこの瞬間を、自分を、祝福しよう。今日より若い日はないのだから、変化の差分を意識的に刻印しながら、歳をとっていきたい。そう思えたのなら、なんの後悔さえ残らないと思える。
パティシエの父の労働倫理に今なら共感できる
読書の効用ってなんだろうと、ふと考える。僕の場合、行き着くのは知識の習得より、想像力の質と幅の拡張にあると思う。例えば、R・ブレグマン『Humankind 希望の歴史』からマクロな楽観主義のダイナミズムを感じたとして、それを自分のミクロな人生の価値観に当てはめてみる。それだけで、今日を希望を持って生きられる。
長時間労働がデフォルトのポーカーテーブルのオーガナイザーをやっていて、午前中の出動までにリビングのソファでうたた寝をしている時間があった。うとうとしながら、混濁する意識のなかで、そっと父の姿が立ち現れた。
ぼくの父は洋菓子職人=パティシエである。ぼくが中学に上がる頃に独立し、自分で店を構えるようになったのだけれど、それまでは雇われの身で、早朝から深夜まで忙しなく働いていた。だから、お父さんに会えるのは稀であったし、学校行事にもほとんど来てくれないことに、子供心では寂しく思っていた。
けれど、いま自分が三十路を超えて、曲がりなりにも大人になり、なぜかケニアで毎日ポーカーをしていること、度を超えた長時間労働を強いられて初めて思う。人生はコントロールできないことで溢れている。
ちょっとした意志と目的だけが羅針盤であり、自分を囲むわずかな光のために命を(気づいているかは別として)燃やしてぼくらは生きているのだ。きっとその内実は異なれど、いまなら父親が労働に必死で取り組んだその精神と倫理に共感することができる。
マニュアル通りに生きたって、なにも始まらない
人生はときに残酷なほどに、ある瞬間を分岐点として、決定的に分岐し、回転していく。ぼくの場合、それは中学三年の夏、恩師との出会いによって訪れた。
とにかくぼくは勉強が苦手で、とくに英語が足を引っ張っていた。おかげで、高校進学でさえも諦めていたような有様だった。けれど、それがぼくが見ていた世界のリアルであり、常識だった。つまり、一言でいってしまえば視野が限りなく限定されていたのだ。自分の可能性の一切を低く見積り、自分で自分を檻に閉じ込めていた。
けれど、恩師との出会いによって、ぼくは英語を克服することができた。来る日も来る日も、寝落ちするまでテーブルに向かって、超特急で学習に打ち込んだ。そこでぼくは悟った。自分は頭が悪いのではなく、勉強の仕方をだれにも教わってこなかっただけ、“やってこなかっただけ”なのだと。つまり、人間と人間に大したスペックの違いなどはなく、境遇や習慣に人生の角度が規定されるのだと。
で、大人になって恩師と再会してその当時を振り返りながら語るコンテンツを『ジモコロ』で作ってもらって、迷ったときに自分自身が立ち帰れる記事になっている。写真とは別の思い出の形。あのとき、英語から逃げていれば、大学ましてや大学院にまで行くことはなかっただろうし、アメリカへ留学することもなかっただろう。だとすれば、いまこうしてケニアにいる可能性なんて限りなくゼロに近かったはずだ。
昼寝に突入しそうな眠気にソファで襲われながら、腰を上げて、B-DASHの『平和島』を一曲聞いてからカジノへと出動した。
マニュアル通りに生きたって 何も始まらない
僕等の歩いていく道は アスファルトなんかじゃない
人間と鬼、アジア人と黒人
あいも変わらず、一日の大半をカジノで過ごす。週初めの平日ということもあって、客足をじゃっかん心配していたのだけれど杞憂だった。
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ポーカーをしながら横で、タンザニア人のアイザックが美味そうにTHEケニア料理に舌鼓を打っている。ぼくは苦手なタイプの料理だ。
先週分の日記でも触れたけれど、『約束のネバーランド』を全巻読み終えたばかりで、ふとこんなことを思った。この漫画で描かれる舞台は、人間と鬼によって世界が二分され、両種族の間で積年の争い、協定、裏切り、陰謀などが描かれる。けれど、主人公たちは悟ることになる。
鬼は人間の写鏡であり、人間もまた鬼の影なのだと。これは、ぼくらが生きる世界でも同じなのかもしれない。
ぼくはケニアでマイノリティのアジア人として、黒人に囲まれながら暮らしている。彼らとの日々のコミュニケーションを通じて、同じ人間と人間の関係性を切り結びながら、バイアスを融解されていく。肌の色も、顔も、なにもかもそのすべては表層的なラベルに過ぎない。
今日もNetflixでドキュメンタリーシリーズ『ヤング、セレブ&アフリカン』を観た。“Can't help living in dramas"といった印象が全面に出てる。まあ、もちろんスクリプトありきなのだろうけど、それでもtoo much感が否めない。
もちろん劇中に出てくる人物たちは超がつくほどのセブリティなのだけれど、ぼくが普段接する中流以下のケニア人とも根っこの部分で、“アフリカンとして”持っている気質には共通のノリを見出すことも少なくなかった。
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で、ポーカーの話。今日は終始、苦しい展開が続いた。最後の最後までマイナスを低空飛行し、8万円ほど落ち込んでいた。けれど、最後にK,Kがフロップで刺さり、リバーでフルハウスが完成。このワンハンドですべての負けが帳消しとなった。最後まで集中力を切らさず、投げやりになれなければ、何かが起こる。
【本日の収支】+ ¥25,000
【今月の収支】+ ¥870,000
“約束”と“保証”がない場所にみのる果実 4/26(tue.)
隔たる無数の世界の向こう側へ
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