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【小説】西海道中膝栗毛<其ノ五> 最終回

十八


「小次郎さん、どげんしたとですか!」
 小次郎のただならぬ様子に万次郎が驚く。
「正宗どのはおられるか?」
 小次郎は、万次郎の案内で奥の間へ飛ぶように駆け込んだ。正宗は相変わらず、ぼんやりと仏壇の前に座っている。その姿を見て、小次郎は正宗にチヨの手紙を見せたものか束の間ためらった。
 しかし、心配そうに覗き込む万次郎に気づくと、おもむろに懐からチヨの手紙を取り出した。

 万次郎が手紙を受け取り、正宗に渡す。正宗は背を向けたまま仏壇の前から動かない。
「おチヨさんからの手紙です」
 小次郎が言うと、正宗は弾かれたように振り返った。そうして、手に取った手紙を読むなり、驚愕の表情を浮かべた。
「正宗どの、一刻も早くここを離れたほうがいい」
 真っ青になっている正宗に小次郎が真剣な眼差しで言う。
「どげんしたとですか? チヨさんの手紙にはなんが書いてあったとですか?」
 万次郎まで青くなって二人の顔をかわるがわる見る。小次郎が事情を説明すると、万次郎の顔がさらに青くなった。
「そんな……」

 三人は途方に暮れた。
「どこか行くあてはないのですか?」
 小次郎が尋ねると、正宗は力なげに首を振った。
 そのとき、万次郎がハッと顔をあげ、
甘味あまみ大島へ参りましょう」
 と、言った。
 小次郎と正宗は顔を見合わせた。

 万次郎の母親は、甘味大島の人であった。
 ある日、近くを航行していた阿蘭陀船が嵐に遭い、一人の阿蘭陀人が漂着した。意識を失って浜へ倒れているところを、万次郎の母が見つけた。
 母は、村人に頼んで男を自宅へ連れていくと、毎日手厚く介抱した。そして、いつしか二人の間には愛情が芽生え、やがて万次郎が生まれた。
 ところが、万次郎を産んでまもなく、母の具合が悪くなった。男の世話もむなしく、一年後に母は死んだ。異国の地で、男手一つで万次郎を育てることもできず、かといって紅毛人との間に生まれた子を引き取ってくれる者もいなかった。

 それからしばらくして、男はたまたま嵐を避けて島へ停泊していた阿蘭陀船に乗り込み、長嵜へやってきた。
 そうして幾久正宗と知り合ったのである。正宗にもちょうど同じ年頃の息子がおり、遊び相手によいだろうと言って、正宗が万次郎を預かることになった。阿蘭陀人は、万次郎と別れ難そうであったが、本国への長旅に幼子を連れて行くわけにもいかず、阿蘭陀船の帰航に合わせて泣く泣く長嵜を去った。

 こうして、万次郎は正宗の養子として育てられることになった。
 時折り瞳が青く光ることはあるが、彫の深い万次郎の顔立ちは南方系の人間に見えなくもなく、正宗は万次郎が紅毛人との混血児であることを周囲には伏せておいた。

 甘味大島は、薩麻さつま府の直轄領である。
 万次郎は、ここなら本府の捜査が及ばないだろうと踏んだのだが、甘味大島があるのは遠い南方の海。一体どうやって行ったものか。南方貿易に携わる御朱印船に乗り込むわけにもゆかぬし、徒歩では足跡が残ってしまう。
 三人はまたしても考え込んだ。

 すると、万次郎が急に立ち上がって、
「銀さんを探してきます」
 と言うなり表へ飛び出して行った。


十九


 どこをどうしたものやらわからなかったが、さすがは銀四郎である。
 杉浦すぎら党の頭領と話をつけ、ついに杉浦党が二人のために明朝、夜明け前に船を出してくれる段取りがついた。急な話で正宗は動揺していたが、風呂敷に息子の位牌を包み、生前息子が蓄えていたとかで棺とともに本府より送られてきた金を財布に入れた。万次郎は、身の回りの品を正宗の分まで揃えると、それぞれ風呂敷に包んで急拵えの旅支度を整えた。

 悲しむ暇もなく慌ただしく旅立つことになり、正宗は考える余裕もなかったが、ふと自分たちのために骨を折ってくれた小次郎と銀四郎の存在に気づいた。
 そこで、慌てて先ほど包んだ財布の中から金を取り出し、二人に差し出した。
 すると、銀四郎が眉間に皺を寄せて、
「よせやい、親父さん。こちとらそんなつもりで助けたんじゃねぇぜ。困った時はお互いさまよ。そんなもの受けっとちゃあ、この桜吹雪が泣いちまうぜ。黙ってそのままついて来やがれ」
 と言うが早いか、銀四郎は先に立って歩き出した。
 小次郎は正宗の手を引き、一行は闇に紛れて幾久屋の裏口からそっと抜け出した。店の前に出ると、正宗は振り返って店の看板を見上げた。
 それを見た銀四郎は何も言わず、ただ先を促しただけだった。小次郎も黙ってそれに続いた。

 唐人屋敷をぐるっと裏手に回って艀に出ると、そこには男が二人、正宗たちを待ち構えていた。
 射干玉ぬばたまの闇の中、頬かむりをして立っていたのは、なんと杉浦党の頭領と平次であった。頭領自らの出迎えに驚く小次郎たちの顔を見て、
「お前にもう一度会いたくてな」
 と、頭領が笑う。小次郎は思わずサッと右手を剣にかけた。
「やめろ。俺はもう一度お前とやり合うつもりなどないわ」
 小次郎が目を細める。
「さ、早く船へ。夜が明ける前に出航しやすぜ」
 平次が脇へ寄って、小舟の方を指差す。
 正宗と万次郎がはしけ船の方へ向かおうとすると、銀四郎が引き留めた。
「ちょいと待ちな、親父さん。こいつを持ってけよ」
 銀四郎は懐から麻袋をとり出すと、正宗へ差し出した。
「そいつは前金だ。どうせこっちにゃ戻ってこれねえだろと思ってよ、吉田屋んとこの倅が近々暖簾分けするってんで店を探してやがったから、親父さんの店を斡旋してやったのさ。こいつぁ、その代金てわけだ。向こうの暮らしの足しにしな」

 銀四郎は、どこで覚えたのか江度っ子*のような話し方をする。それが粋だといって、誰もが銀四郎に惚れ込んでしまう。正宗も銀四郎の気風きっぷのよさに思わず笑みがこぼれる。
「何から何まで……」
 正宗が深々と頭を下げると、
「いいってことよ。二人とも達者で暮らせよ」
 銀四郎が正宗と万次郎の肩を叩く。
 小次郎と頭領の目が合った。頭領は任せておけとでも言うように軽く目でうなずき、小次郎もそれに応えた。

 正宗と万次郎、そして頭領と平次を乗せた船が朝靄の中に遠ざかっていく。
 まだ眠りから覚めぬ長嵜の町に、静かに櫂を漕ぐ音だけが糸を引いていた。


二十


 いよいよ阿蘭陀船の出港である。
 チヨとシーワットが艀船に乗り込む。チヨは振り返って、これが見納めとばかりに長嵜の町を眺めた。そのとき、視界の端に小次郎の姿を見つけた。だが、そこには正宗と万次郎の姿はない。小次郎は、チヨの目を捉えると大きく頷いた。
 チヨは、小次郎が二人を逃がしてくれたのだと胸を撫で下ろし、小次郎に向かって頭を下げた。それから船が本船にたどり着くまでの間、チヨはずっと小次郎から目を離さなかった。小次郎もその小さな姿が見えなくなるまで、じっと見送った。

 そして、もう一つの別れが待っていた。
 苔湾たいわんから甘蔗の苗を持ち帰ったこぞうは、大月玄沢から一冊の本を受け取った。
「これは真平賀源内の遺稿だ。先日の御朱印船で私の元へ送られてきたのだ。私が持っているよりお前が持っていた方が役に立つであろう」
 そう言って差し出したのは、『類物品隲るいぶつひんしつ*』という書物である。薬品会やくひんえ*に出品された物産の博物誌で、これらの中には甘蔗の栽培法と製糖法の記述もあった。こぞうは目を輝かせて喜んだ。そして、本府への帰り途、かねてより甘蔗の栽培地として候補にあがっていた土左とさへ寄港し、試験的に植え付けをしてみたいと言うので、その一週間後に御朱印船で長嵜を発つことになった。

 大波戸には、大月玄沢と木本栄之進、そして小次郎の姿が見える。こぞうは皆と握手を交わし、甘蔗の苗を大事そうに抱えて波に揺られながら、御朱印船へ向かった。

「皆、行ってしまったな……」
 小次郎は小さく独りごちた。小次郎の足元では武蔵丸が、こぞうを見送るようにいつまでも尻尾を振っていた。


 それからしばらくすると、長嵜の海域では、和寇による唐船への襲撃が減り始めた。外国船がやって来ると、蓋島家の哨戒船が出るより早く、井王島から杉浦党の船が飛び出して和寇を撃退するという三つ巴の展開になったのである。もはや蓋島家は和寇退治という建前を失って哨戒船が出せず、本府や長嵜奉行もこれを海賊同士の縄張り争いと見て手を出さなかった。
 こうしてしだいに和寇の動きは沈静化していった。


 一方、バタヴィアへ向かう船の中では、シーワットが一枚の絵を取り出して眺めていた。見事な筆さばきでシーワット自ら描いた日本の植物画である。
 ところが、シーワットはいきなりその絵の端を両の指でつかむと、ひと息に裏打ちを剥がした。
 すると中から、はらり、と一枚の紙が舞い落ちる。それは、井鵜忠敬いのうただたかの地図を模した江度の地図であった。実はこのシーワット、速描きの名手河豚鍋暁斎ふぐなべきょうさいと競ったこともあるほどの腕前で、その記憶力も群を抜いていた。
 チヨに預けられた長煙管の中から出てきた地図をシーワットはすかさず記憶に留め、密かにこれを模写したのであった。
 日本の海域をはずれ、船はまもなく苔湾に到着する。

 シーワットの顔から、思わず微笑がこぼれた。


 

<作者註>
*地名:実在の地名とは関係ございません。
*人名:実在の人物とは関係ございません。
*江度っ子:江戸っ子とは関係ございません。
*類物品隲:平賀源内の物類品隲』とは関係ございません。
*薬品会:博物展覧会のようなもの。
*長嵜弁:長崎弁とは関係ございません。北部九州の言葉を混ぜた作者の造語。
*本作はフィクションであり、史実とは関係ございません。


ー了ー


* * *


さて、今回、舞台を九州と思われる地に移してのシリーズ展開にはわけがございました。それは……


10月27日(日)に開催される文学フリマ福岡に、

ジェーンさんと私が参加するのです!


ウミネコ制作委員会さまの作品ラインナップを引っさげての参加となりますが、今回の出店に際しましては、ジェーンさんとの共著(著者名は私たちの名前をもじったMaryéメリエ  Janeジェーン)、『黄泉への扉』ウミネコmini文庫シリーズの最新刊として店頭に並びます。

また、なんとなく好評なUmineko Sketch Bookシリーズ最新刊、Umineko Sketch Book②(略してUSB②)も福岡初登場です。(後日ウミネコ制作委員会さまのネットでも販売予定)


文学フリマ福岡の詳細は、にじいろライブラリ広報部長、ジェーンさんの記事で Check it out!


そして、気になるmini文庫最新刊の目次は、以下のとおりです。

🌹

『黄泉への扉』

 一. 死人のおれと鬼の指導者 ジェーン著
 二. 赤い瞳のヘレン     ジェーン著
 三. 烏魂ぬばたまの夢          Ryé著

🌹



最後に、拙作『烏魂の夢』のご紹介です。
この作品は、すっかりおなじみ(?)になった『こぞうと将軍』シリーズのスピンオフ作品、『西海道中膝栗毛』シリーズの姉妹作です。
どちらの作品もそれぞれ単独でお楽しみいただけますが、二つ揃うとそれぞれのお話が繋がるという、二粒で二度美味しい(あれ?)仕掛けになっていますので、こちらもお楽しみに!


それでは、10月27日(日)に文学フリマ福岡で皆さまのお越しをジェーンさんと二人で首を長くしてお待ちしております!


* * *

『烏魂の夢』



 新川あらかわのほとりで死体が見つかった。

 見つけたのは三次という男で、その先の井戸まで水を汲みに行くところであった。さては酔い潰れて道で行き倒れたかと思い、声をかけたが、男は全くこと切れていた。慌てた三次は、その若い男の死体をそのまま打ち遣って人を呼びに走ると、ちょうど夜廻りを終えて詰所へ戻る寄力よりき出会でくわした。
 事情を聞いた寄力は、踵を返して三次とともに現場へ駆けつけたが、死体があったはずの場所には、すでに男の姿はなかったのである。

 神無月。
 まだ東の空が朱染めぬ、肌寒い朝であった…


続きは、文学フリマ福岡で!


* * *


◆西海道中膝栗毛シリーズ(前回までの話)

<其ノ一>
<其ノ二>
<其ノ三>
<其ノ四>


〜こぞうと将軍シリーズ〜


◆こぞうと将軍

◆こぞうと将軍<其ノ二>

◆こぞうと将軍<其ノ三>



※この作品が収録されているマガジンはこちら↓


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