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原書のすゝめ:#11 The Shadow Murders

お気付きのとおり扉絵と表題のタイトルが違う。しかしこれは、同じ本なのだ。

そして、この本の邦題は、まだない。

原題の『Natrium Chlorid』はデンマーク語。
ということは、つまり、これは、北欧ミステリファンが首を長くして待っていた、例のあの本。
そう、特捜部Qの第9巻である。



年始にこの記事を見つけた瞬間、ついに邦訳刊行かと胸が躍ったのだが、文中の「『Natrium Chloride』原書書影」という所で、焦点がロックされた。

これはデンマーク語版ではなく、ドイツ語版。
正確には原書ではないのではないかと思ったが、第1作より邦訳はドイツ語からの重訳だから、ある意味では「原書」なのかもしれない。


特捜部Qはデンマークの隣国であるドイツでは特に人気のようで、翻訳が出るのが最も早い。

原書の刊行は2021年11月4日なのだが、ドイツ語訳はなんと同年の11月17日。原書とほぼ同時発売という驚異的な早さである。スウェーデン語版のハードカバーの刊行は2022年3月29日、ペーパーバック版がやっと 2023年2月9日に発売された。私はこれよりもう一回り小さいサイズの本を収集しているので、今しばらく辛抱が必要だ。

邦訳はおそらく10〜11月頃になるのではないだろうか。私は待ちきれずに、先月Kindleの英語版(2022年9月に発売済だったのに知らなかった!)を買ってしまった。クリスティの全巻読破という目標はこの本を前に遠く霞と消え、私の心はコペンハーゲン警察本部へ飛んだ。

ひと足先に至福の時間を味わったので、未読の皆さまにほんの少し「洋書」の愉しみをお裾分けできれば嬉しい。

本作は2020年のデンマークが舞台である。
そのため直近の世情が反映されている。


Nine hundred and eighteen dead, they (=the participants at the press conference) said, continuing to explain that the second corona wave was approaching and that restrictions would come into effect starting the following day at four p.m. It was nothing new: lockdown, corona tests, hand disinfecting, face masks, coughing in your sleeve, deprivation, and economic decline.


特捜部Qは警察本部の地下工事のために別の場所に移転された。

そして、若い女性の殺人事件を担当した同僚がコロナに感染し重体に陥ったため特捜部Qが捜査を引き継ぐという、2020年12月のコペンハーゲンの様子が描かれている。

カールが元救急隊員を訪ねた際にうっかりマスクをつけ忘れて指摘される場面も、最近までマスクが顔の一部だった今では遠い昔のように思える。小説なので脚色はあるだろうが、その夏コペンハーゲンへ行くはずだった私には他人事には思えなかった。


このシリーズの魅力はストーリーだけではなく個性的な登場人物に拠るところも大きいが、初巻から登場するアサドの言い間違えは相変わらずだ。

“You told me Gordon discovered this morning that they swindled their customers, so there must’ve been someone fishing.”

というアサドに、

“You mean there must have been something fishy, Assad.” 

とカールが答える。

CBSの人気ドラマ『NCIS』でイスラエル人のジヴァが「She claimed Heller was not there, but I smell fish…(博士はいないと言ってたけど生臭かった)」と言うと、「”Fishy”. Something fishy.(うさん臭かった)」とトニーに指摘されていたから、ありがちな間違いなのだろう。日本語字幕が上手い。

もう一つ面白かったのは、acronym 頭字語の話である。

頭字語は単語の頭文字で構成されたabbreviation 略称でOPECのような表記を指すが、この頭字語がやたら使われることにウンザリしたアサドとそれに答えるゴードンの会話が面白い。


“IT, NC3—all those acronyms are enough to drive anyone crazy,” grumbled Assad. “You need to be a walking encyclopedia. In text messages people write btw, lol, brb, and more keep coming all the time. When I call businesspeople, I always end up talking with a CEO, CCO, CPO, CIO, and all that sort of nonsense. Why the hell do we need all those abrasions in the police?”

“Abrasions? You mean abbreviations, Assad,” said Gordon. “And by the way, NC3 is an abbreviation of NCCC, which stands for National Cyber Crime Center in the national police, FYI!”

“I see. But then at least they should call it NCCCNP to give us a fair chance.” Assad pouted. “Anyway, from now on, I want my business card to say SAAFT3AE.”

※SAAFT3AEはアサド曰く、“Swarthy Arab and father to three and exhausted”のこと。


NC3とは何の組織だろうと思っていたら、ゴードンのこの説明で納得した。
一方、アサドの「SAAFT3AE」は、ドイツ語からどういう日本語になるのだろう。
Abrasion とabbreviation の言い間違えもウケる。


前置きはこの位にして、いよいよ本編である。


PROLOGUE
1982

It only took five minutes after the emergency call before the ambulance turned across the lawn toward a chaotic scene that would forever haunt those who saw it. Around a steaming hole lay six lifeless bodies, and the rancid smell of burned flesh mingled with the stench of ozone still lingering in the air from the lightning strikes.

1982年、落雷で6人が死亡。駆けつけた救急隊員に唯一の生存者が全員死んだのかと尋ねた。そうだと答えると、その生存者は「よかった」と不気味な笑みを浮かべる。一体どういう意味なのか。その日、現場では何があったのか。


序章に続いて、60歳の女性が自分の誕生日に自殺するという事件が続く。女性にはかつて障がいのある子供がいたが、預けていた車を受け取りに行った修理工場での爆発事故に巻き込まれて一人息子を失ってしまう。

ところが、今回のカールたちの捜査で事故の被害者だと思われていた修理工たちが、実は爆発前にすでに死んでいたことが判明した。そして、現場に残されていたある物質も。その物質とは…

『Natrium Chlorid』

元素記号NaとClの化合物である塩化ナトリウム、すなわち“塩”である。『Salt』ではなく化合物名で書かれると一層不気味だ。しかも、これまで自殺や事故だと思われていた過去の事件現場に「塩」が残されていたという共通点を特捜部Qが発見する。

単なる偶然か、それとも連続殺人か。

特捜部Q創設のきっかけとなったステープル釘打機事件もここにきて思わぬ展開を見せ、カールは窮地に立たされてしまう。

このところハリウッド映画のような派手なストーリー展開にやや鼻白らむ感があるのは否めないが、現在と過去の事件が複雑に絡み合い、いくつものピースがパズルのように組み立てられていくプロットはいつもながら素晴らしい。

特捜部Qは世界各国で翻訳されているが、各国でタイトルも表紙も異なる。ドイツ語版はデザインも色調も一番怖い。タイトルの差異だけでも一つの比較文化論が語れそうである。

<上:スウェーデン語版>
<上:英語版>


と、ここまで書いたところで、紙数が尽きてしまった。

続きが気になる方は、ぜひ本作を手に取ってほしい。役立つ英語表現や、私が読み間違えている箇所を発見できるのも一興かと思う。


一方、邦訳を待つのみとなり手持ち無沙汰になった私は、Amazon川を泳いでいた。と、その時、ドイツ語のMP3『Verachtung』(カルテ番号64)が、どんぶらこ、どんぶらこと流れてきた。

ドイツ語は全くわからない。
だから…


ポチッとやってしまった。
つい、ポチッとやってしまった。
何故ポチッとやってしまったのか。

それは、“248円、残り1点”だったから。


3日後、ドイツ語CDブックがやってきた。
一体、私は何処へ行こうとしているのだろう。

<原書のすゝめ>シリーズ(11)


*参考資料

原書と英訳のタイトルを併記しますので、ご購入の際にご参考ください。
※最初の5作品はタイトルが2通りありますが、Penguin社(UK)とDutton社(US)からそれぞれ出版されたものです。翻訳者は同じです。

Kvinden i biret(『檻の中の女』)
 Mercy(UK)
 The Keeper of Lost causes(US)
Fasandræverne(『キジ殺し』)
 Disgrace (UK)
 The Absent One(US)
Föaskepost fra P(『Pからのメッセージ』)
 Redemption (UK)
 A Conspiracy of Faith (US)
Journal64(『カルテ番号64』)
 Guilt(UK)
 The Purity of Vengeance (US)
Marco Effekten(『知りすぎたマルコ』)
 Buried (UK)
 Marco Effect(US)
Den grænseløse(『吊るされた少女』)
 The Hanging Girl
Selfies(『自撮りする女たち』)
 The Scarred Women
Offer 2117(『アサドの祈り』)
 Offer 2117
Natrium Chlorid(邦題未定)
 The Shadow Murders
 *記事中の画像はQuercus出版のものです。
Amazonだとペーパーバックは予約注文ですが、Book Depositoryでは入手可能です。Penguin Random HouseであればAmazonでも購入できそうです。ただし、双方とも3/23時点では価格帯が少し高めです。

※<原書のすゝめ>シリーズのコンセプトはこちらの記事をご覧ください。


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